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  山陽道




山陽道

「五幾七道」の「山陽道:さんようどう、せんようどう」は古くは(かげとものみち)とも呼ばれていました。
幹線道路としての「山陽道」は都と大宰府を結び、また外国の使節が通行、宿泊すること
が想定されたため、七道の中で唯一の「大路」に格付けされ、もっとも重視されました。
江戸時代には「西国街道」と呼ばれ、42の宿場が整備されます。

【中国地方】

畿内と西海道(九州)の中間に位置する地域であることから「中国」とも呼ばれました。
当初は「備中・備後・伯耆・出雲」の4カ国を「中国」と呼び、「安芸・石見・周防・
長州」を「遠国」、「備前・美作・因幡」を「近国」と呼ぶこともあったとされます。



播磨国(播州)

[播磨:はりま 播州:ばんしゅう]兵庫県(西部)
7世紀に設置。
【郡】 宍粟・佐用・赤穂・揖保・飾磨・神崎・多可・賀茂・印南・加古・美嚢・明石


美作国(作州)

[美作:みまさか 作州:さくしゅう]岡山県(北部)
8世紀に「備前国」から分離。
【郡】英多・勝田・苫田・久米・大庭・真島


備前国(備州)
備中国(備州)
備後国(備州)

[備前:びぜん   備州:びしゅう]岡山県(南東部)
[備中:びっちゅう 備州:びしゅう]岡山県(西部)
[備後:びんご   備州:びしゅう]広島県(東部)

古代・中国山陽地方に大和朝廷と肩を並べる規模の大国「吉備国」が勢力を振るいました。7世紀に中央の勢力下に落ち3分割されました。吉備国は挑戦半島から渡来した王族が建
国し、当時は非常に高度な技術と文明を持っていたとされています。
桃太郎話の由来の地でもあります。
8世紀に 「備前国」から「美作国」を分離し、江戸時代に小豆島と直島諸島を「讃岐国」に移管します。
備前【郡】邑久・赤坂・上道・御野・津高・児島・和気・磐梨
備中【郡】小田・浅口・窪屋・都宇・下道・賀陽・阿賀・哲多・後月・上房・川上
備後【郡】安那・神石・沼隈・品治・葦田・御付・世羅・三谿・三次・三上・奴可・恵蘇

安芸国(芸州)

[安芸:あき 芸州:げいしゅう]広島県(西部)
7世紀に阿岐国造の領域をもとに「安芸国」を設置。
【郡】沙田・沼田・安芸・佐伯・高宮・高田・賀茂・山県

周防国(防州)

[周防:すおう 防州:ぼうしゅう]山口県(東部)
7世紀に「周芳国」として設けられ、その後「周防国」に改称。
【郡】吉敷・佐波・都濃・熊毛・大島・玖珂

長門国(長州)

[長門:ながと 長州:ちょうしゅう]山口県(西部)
本州最西端に位置する長門は、航路の門戸として古くから海上交通の要衝であったことか
ら「穴門・穴戸:あなと」と呼ばれていました。
7世紀に穴門国造の領域と、阿武国造の領域をあわせ「穴戸国」を設置。
後に「長門国」に改称します。
近世、本州最西端にる山陽道終点の関所が置かれた場所を「下関」といいました 。
【郡】 阿武・大津・美祢・厚狭・豊浦