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  幾内




幾内

「幾内:きない」とは中国の古制で、王城を中心とする特別行政区をいい、奈良時代から
称され始めた当初は「山城国」「摂津国」「河内国」「大和国」の四幾内とされました、
後に「河内国」から「和泉国」が分離し五幾内となります。
さらに周辺の「近江・伊賀・伊勢・志摩・丹波・丹後・但馬・播磨・紀伊・淡路の10ヶ国
を合わせた15ヶ国を「近畿:きんき」といいました。現在の近畿地方とは若干範囲が違います。



山城国(城州)

[山城:やましろ 城州:じょうしゅう]京都府(南部)
「大和国」(奈良)から見て背後にあることから「山背:やまうしろ」と言われ、
「やましろ」に変化します。平安京命名の際、桓武天皇によって、山河が襟帯して自然に
城をなしているような形勝から「山城国」に改称されました。

大和国(和州)

[大和:やまと 和州:わしゅう]奈良県
古くは「倭:やまと」と書かれていましたが、「諸国郡郷名著好字」令によって漢字2文字の「大和」となりました。


河内国(河州)

[河内:かわち 河州:かしゅう]大阪府(南東部)
7世紀に成立。のちに「和泉国」を分割します。
語源は淀川と生駒川に挟まれた「川の内側」に由来するとされています。

和泉国(泉州)

[和泉:いずみ 泉州:せんしゅう]大阪府(南西部)
8世紀に「河内国」から大鳥郡、和泉郡、日根郡を割いて「和泉監:いずみげん」が建て
られました。この地に離宮として茅渟宮(珍努宮、和泉宮)が置かれたことが、「監」と
いう特別な位置づけになったのです。
その後「河内国」へ編入されますが、のちに「和泉国」として再分割されます。
古くは「泉」と書かれていましたが、「諸国郡郷名著好字」令によって漢字2文字の「 和泉」となります。語源は清水が湧き出る「出水:いずみ」に由来するといわれています。

摂津国(摂州) 

[摂津:せっつ 摂州:せっしゅう]大阪府(北西部)兵庫県(南東部)
7世紀に「津国:つのくに」として設置されます。「津」とは港のことで。大阪湾の重要
な港であったことから「摂津職:せっしんしき」という役所が置かれていました。
8世紀に「津国」から「摂津国」に改称されます。