一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・九州鉄道の旅(2)

   青春18キップパスで廻る    
  九州ぐるり鉄道の旅   

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ここから鹿児島中央駅までは再び日豊本線。ここで特急「きりしま9号」(6009M)を奢ることにした。理由はローカル線で着かれていやになったからではなく、その先の接続で指宿枕崎線の特別快速「なのはなDX」
(3349D)に乗るためだった。指宿枕崎線の終点は枕崎駅だが、終点まで行く列車は日に数本しかない。宿に到着する時間を考えれば、1本でも早い列車に乗りたかったのだ。おまけに同線は相当に長い盲腸線で、できれば行きは快速列車で優雅に辿り着きたい思いがあった。

隼人駅3番線ホームにやってきたのは、やはり案の定の旧型特急の486系100番台。真っ赤なボディーは昨日のった特急「にちりん」と同じだが、車体には「レッドエクスプレス」の文字と鹿児島・日向の「K&H」のロゴ。

隼人駅からさき、しばらくは内陸部を走るので錦江湾も桜島もちょこちょことしか見えない。重富駅をすぎていよいよ錦江湾に面して海岸線を走る。目の前に錦江湾が広がり、煙を上げる桜島がどんどん近づいてくる。海に面した絶景の駅・竜ヶ水駅で上りの特急「きりしま」と列車交換。いよいよ桜島が目と鼻の先にせまると、トンネルに入り内陸部を走りながら、大きな貨物駅がある鹿児島駅、そして九州新幹線の乗り入れによって名前を変えた鹿児島中央駅に到着した。

ところが鹿児島駅に到着すると、向かいのホームにある特別快速「なのはなDX」がゆるやかに発車していくでは無いか。時刻表の読み間違え、ではなくメモのミスである。特急に乗っても間に合わなかったのだ。結局当初乗る予定の鈍行列車を1時間以上待つはめになる。

指宿枕崎線は2番線ホームと1番線ホームであり、いずれも列車が止まっていた。すぐに出るのは2番線ホームの(1351D)山川行き15:54発だ。各駅停車「なのはな」を名乗る列車は、JR九州の新型気動車で昨日久大本線で乗ったキハ200系500番台、2両ワンマン。しかしなんとオールロングシートではないか。これでは旧型のキハ40系の方がまだましだった、とは言うものの乗り心地や電車並みの加速性能と静粛性はぴかいち。

この列車に乗っても指宿の先の山川駅どまりで、後からくる枕崎行きに乗り換える事になるが、山川駅は本州最南端の「有人駅」で、なにより何も無い鹿児島中央駅で相当時間待つよりも、海の見える(かも)山川駅で夕日でも眺めながら、後続の列車を待つ方が十二分に旅情を満喫できると考えた。

列車は鹿児島中央駅を出て、鹿児島電車区を右手に、五位野駅まで鹿児島市の市街が続く。海はさらにその先だ。
南鹿児島駅と慈眼寺駅で列車交換。五位野駅でも7分停車した。
宇宿駅の手前まで市電が併走。その市電とJR線に挟まれた中州のような細長い場所に家庭菜園と民家がひしめく。各家々は線路を渡らなくては行けない。もちろんいちいち遮断機は無い。線路沿いの住民は平気で踏み切りの無い場所の線路を渡る。有名な鎌倉の江ノ電でも見ない光景だ。列車は警笛をバンバン鳴らしながら進む。

瀬々串駅で列車交換。やがて右手に国家石油備蓄基地が見えてくる。喜入駅の手前で、いたずらか故障か、信号機の停止信号で、列車は停車。同乗していた職員が列車を降りて現地へ走る。列車もゆっくりと後を追う。時間のロスだ。
前之浜駅で乗り損ねた「なのはなDX」と列車交換。NHKの大河ドラマ「篤姫」で一躍有名になった薩摩今和泉駅で列車交換の為に5分の停車。日は沈み始め、気温も低くなってきたのにドアは全開である。温泉地指宿をすぎて列車は終点の山川駅に到着した。案の定駅前には港があった。マゼンタの夕日が幻想的な入江の風景を造り上げる。パラパラと雨が降ってきた。まだ、わずかに日がある。ここからタクシーを奮発して2駅先の(本当の)本州最南端の駅「西大山」駅をめざそうとも思ったが、一気に日が落ち始めたのであきらめた。


 
 

一応、本州最南端の(有人)駅を名乗るこの駅で待つこと。今乗ってきた列車が鹿児島方面へと出発する直後に車で送られた乗客が駆け込んでいった。駅前に停まっていたタクシーもみな引き上げていった。再び人影の無い静寂が駅をつつむ。ホームで待つこと、暗闇のなかに雨の匂いと雨音がしてきた。静寂をかき消すように雨音が鳴り響く。東京から遠く離れた本州最南端の駅でただ一人、この孤独な不安感がなんともたまらない。

待つこと1時間。やってきた(1353D)は願いが叶った?のか、旧型のキハ47系9000番台であった。アイボリーにブルー帯の国鉄色。焼酎のCMで見た鹿児島の鉄道風景。やはりこれだ。列車に乗り込みボックス席に腰を下ろす。乗り心地は悪いし、窓や車体からは悲鳴をあげているが、やはり旅情を感じるのはこれだ。

車内には乗客は僅かだ。一応この列車は終点の枕崎駅行きにおいては最終列車である。まだ18時台である。鹿児島で一杯飲んだらまず帰れない。しかし、実際は指宿を境に経済圏は別れているのだろう。
この先、枕崎駅まではすぐかと思いきや、実に1時間半を要する長旅がまだ残されているのだ。薩摩半島先端の町や集落をくまなく繋いでいくのだろう。まだ16駅ほど残されているのだ。
暗闇の中、地図を頼らなければどの辺を走っているのか皆目見当もつかない。
西頴娃駅で最後の列車交換。いつのまにか、車内には私一人になっていた。まだ19時前でしかも終電なのにである。完全に疲れ果てて、なんとか19:33列車は終点の枕崎駅に到着。

終点の枕崎駅は駅舎もなく、「日本最南端の始発・終着駅」の立て看板と貧相なアーチが出迎えてくれた。かつてはこの先にも路線は続いていたのだが、廃線と共に駅舎も無くなってしまったようだ。駅前にはロータリーだけが往時の遺構として残され、かつて駅舎があった場所には大型スーパーが建っていた。

指宿枕崎線は西鹿児島ー枕崎間87.9kmの路線で駅数は36もあり、かなり地域の足になっている感があるのだが、それでも利用客の大半は鹿児島市近郊区間と観光シーズンに砂風呂で有名な指宿くらいではないだろうか。いやおそらくそうだろう。そうでなければ、路線名にわざわざ途中駅の名を入れる必要がない。

歴史を調べると、もともとは昭和10年に山川まで開通した指宿線だった。その後枕崎まで延伸。枕崎からは伊集院まで私鉄の鹿児島交通が乗り入れ、薩摩半島を鉄道が1周している時期もあったが、その後鹿児島交通は廃止されてしまう。そして枕崎と鹿児島は薩摩半島をショートカットして結ぶバスの運行により、ますますその存在意義が疑われているようだ。

小雨が降りしきるなか、駅から少し離れた港町にあるビジネス旅館をめざした。年末、客は私一人だった。家族経営の小さなビジネス旅館で、快く泊めていただき感謝である。
そうして日本最南端の町で2008年を終え、2009年を静かに向かえることになる。

 
Page1■ 大隈半島最南端の駅の朝・日南線
page2■ 吉都線・肥薩線で鹿児島へ
Page3■ 指宿枕崎線で薩摩半島の先端へ
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