一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・九州鉄道の旅(2)
   青春18キップパスで廻る   
  九州ぐるり鉄道の旅  
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九州2日目、駅から徒歩5分ほどの場所にある宿を出て油津駅をめざす。
駅のホームには油津駅を6:11始発の下り列車志布志行き(1921D)がアイドリングをして止まっていた。車両は旧型キハ40、8000番台。1両ワンマン。昨日は旧国鉄色だったので、日南線はまだJR九州カラー化が遅れていると書いてしまったが、ちゃんとなっていました。南国らしい明るい黄色一色で、車体には「NICHINAN LINE」のロゴ。
外見はリフレッシュされているものの、内装は特に変わっていない。旧国鉄色の車両を残しているのは、他線の転用にフレキシブルに対応する為か。JR九州は新型車両を積極的に導入する一方で、保有車両をギリギリまで減らしている。ゆえに事故や災害、車両点検などの際の「代車」が無く、やりくりが大変だと、どこかで聞いたことがあった。

ホームには私以外に2〜3人の乗客がいた。南国といえどもこの時間帯は結構寒い。行き止まりの盲腸線は来た道を引き返すのが、ある意味退屈だが、今回は暗闇の中で終点・志布志をめざして夜明けの車窓を楽しみ、志布志で折り返し日の出の車窓で戻ってくるという算段だ。その為に昨日の宿泊地を、無理をしてでもこの油津まで進めておく必要があった。

日南線は南国の海岸線を走るイメージがあるが、油津駅を出ると終点の志布志駅まで、ほとんどの区間が内陸部を走る。とりあえず榎原駅で列車交換、これも同じ黄色い車体だった。
日向大束駅あたりで空が徐々に明るくなってきた。時刻は6:47。終点の志布志駅に着くタイミングで日の出となる。この時期の鹿児島・宮崎の日の出時刻は7:30ごろ。終点の志布志で折り返し(1930D)となる列車の出発時刻も7:30である。

志布志は宮崎県ではなく鹿児島県だが、大隅半島南端の終着駅にしては閑散としていてなにもない。駅前は工業団地の計画地のごとく造成されていて大きなショッピングセンターがぽつんとある。
かつては志布志線、大隅線の他、貨物駅も有した半島随一のターミナル駅であり、広大な構内と駅舎があったそうだが、本線と留置線、1面ホームを残してすべて撤去され、駅本屋は正面に移動されてて、駅前の風景を含めて今の姿になったのだ。

朝日に照りつけられながら、列車はエンジンを唸らせて志布志駅を出発して宮崎駅をめざす。
夏の期間だけ農作業が行われるという意味の大隅夏井駅。次ぎの福島高松との間で県境を越えて再び宮崎県に。
福島今町駅で海と別れを告げしばらく内陸部を走る。今朝はあまり気が付かなかったが、串間駅は駅員が常駐する大きな駅。これでも以前よりはだいぶ縮小されたそうだ。行き違いの線路も撤去されてしまった。

ここから狭い山あいを縫うように走り、南郷駅で再び海と再開。南郷町はプリンスホテルのバブル開発に翻弄された町として知られるようになってしまった。大津堂駅は戦時中に人間魚雷「回天」の基地だった町。再び油津駅にもどってきて終点。乗換の電車は向かいのホームにまっていた。アイボリーにブルー帯の旧国鉄カラー。かと思ったら、2両編成で先頭車両は黄色い車両「イエロー・ニチナンライン」だった。

油津駅を出ると、日南市の中心部日南駅、城下町の飫肥駅を経て内陸部へ突き進み、北郷駅から山越え、日南線最長3,660mの「谷の城トンネル」を抜けると伊比井駅で再び海とご対面。内海駅から小内海駅の間の海岸線に「鬼の洗濯板」があるが、あいにく潮が満ちていてその姿はほとんど水面下。残念。
観光地青島駅で列車交換。ここを過ぎると、そこはもう宮崎市の近郊市街の始まりである。宮崎空港が見えたら2つめで日豊本線との分岐である南宮崎駅に到着。時刻は10時をまわっていた。


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ここからいよいよ鹿児島を目指すのだが、南宮崎駅ですぐに接続する列車は最初の目的駅である都城駅までは行かず、途中の田野駅止まり。その後の列車が都城まで行くのだが、宮崎の中心部の駅で1時間以上待つよりは・・・と、少しでも田舎の駅の風景の中での1時間待ちを選んだ。

南宮崎駅の2番線ホームにまっていた田野駅停まりの下り(6873M)は、なんと昨日乗った旧国鉄712系900番台を特急並みの内装にリニューアルした真っ赤な「サンシャイン」だった。シートは特急と同じリクライニング。わずか数駅だがボックス席に数時間揺られた体を癒すのにこれ以上ない幸運だった。
10:12「サンシャイン」は南宮崎駅を出発。加納駅まで近郊ベッドタウンで、清武駅から田園風景が始まる。やがて日向沓掛を経て終点の田野駅に到着。

田野駅は殺風景な場所で、駅前には商店街を始め見るべきものが何も無い。駅の北側には新らしい住宅街が広がっていることから、おそらく以前は田畑だったのだろう。鉄道の駅が町の中心から離れているのは、地方ではよくある事だ。

江戸時代に始まった宿場町制度の既得権益・・・というよりも町の存在意義や関係者の生活があり、また蒸気機関車による煙害や火災を忌避してのことなのだが、その後駅周辺に町の中心が移動した町と、しなかった町でその町の経済的発展に大きな違いを見せることとなる。と、そんな事を考えたりした。

それにしても田野駅は大きい。島式ホームが2本あり、待避線もある。駅は瓦葺き平屋建ての味のある駅舎だ。



 
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