一路一会鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る信州・北陸・飛騨の旅
   青春18キップで廻る    
  信州・北陸・飛騨の旅   
 
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 日没まで残り僅か。曇り空なのでだいぶ暗く感じるものの、なんとか踏ん張ってくれているようだ。
 城端線のホームは氷見線とは真逆の1・2番線で、これから乗る列車は2番線に待っていた。高岡駅橋上化工事の為にホームが狭くなっている。城端線の車両は色も形も氷見線とまったく同じ仕様だ。いくら大昔は氷見線と一つに繋がっていた路線とはいえ、分断されて半世紀近く経つ現在、多少色を変えてくれると旅情が膨らむのだが。

 城端線(341D)は16:33に高岡駅の2番線を出発した。車窓から高岡駅構内に残る転車台が見える。動態保存されているのだろうか? 線路は大きくカーブして進路を南に向け、屋敷林の山居集落で知られる礪波平野をひた走る。小高い築堤の上を走るので眺めは良い。氷見線と同様に車内は混雑している。
 いくつか小さな駅を経て最初の大きな町である戸出(といで)は、古くから街道の要衝であり繊維産業で栄え、長くこの地域の政治経済の中心だった町だが、現在はひっそりと寂れた町である。その戸出に代わり礪波郡の中心都市となった礪波には、残念ながら古い町並みは残されていなかったが、次の福野には明治時代の洋風建築や伝統的な商家の家並みが残る。市場町として栄えた福光にも古い商家の家並みが残る。この福光には清酒「成政」を醸す成政酒造がある。ようやく高岡駅から29.9キロの終点・城端駅に着いた。時間は日没間際の17:27である。
 古い町並みを探して何度も車では訪れた場所で、なつかしさと共に移動に時間を要した記憶が甦ったが、電車ではあっという間だった。

 城端は戦国時代の部将荒木氏の城下町で、町の名は「居城の前端部」に形成されたことに由来する。城端は五箇山街道の市場町、浄土真宗城端別院善徳寺の門前町として栄え、数多くの豪商を輩出した。
 山の稜線と空の境界が近づいた頃、乗ってきた城端線は折り返し(540D)となった。列車の背後に広がる山塊の向こうには合掌造り民家が今も残る秘境五箇山の集落、さらにその先に白川郷がある。礪波平野の「エッジ」に立っている感覚を肌で感じる。

  高岡へ引き返す列車は17:36に出発した。真っ暗で退屈な車窓を覚悟していたが、どうして帰路は幻想的な夕焼けや空に架かる虹に旅の終わりを祝福された。まだ1日目なのだが、東京では見ることの出来ない風景に、遙か彼方の地にいる事をあらためて実感した。
 礪波平野を軽快に駆け抜ける小豆色の列車は、夕日に赤く照らされながら高岡駅へ帰ってきた。今日の予定はこれで終わり。あとは北陸本線で宿のある黒部駅を目指すのみとなった。

 

 わずか2つ先の富山駅で乗換えの為待っていたホームにやってきた(557M)は、なんと、通称「食パン列車」と呼ばれる、特急型寝台電車581系を北陸向けの普通列車用に改造した419系の中間車からさらに改造されたリサイクル車両の3両編成という代物。あまりの強引な改修再利用に不気味さを覚えるのは、暗闇に浮き上がる様子だけでは無いだろう。あいにく、この列車に愛着を覚えるほどのマニアにはなりきれていなかった。

 さて車内に乗り込んだ瞬間、剣道の防具のようなきつい匂いが鼻をついた。寝台急行の乗客の体臭が染みこんでいるのか。五感を刺激する列車だ。それよりもかねがね噂に聞いた「格納式三段寝台」のギミックをはじめて見て感心した。ベースとなる581系寝台急行「きたぐに」は新潟旅行の際「ムーンライトえちご」を待つ新潟駅のホームで毎回目にしていたのだが、その車内構造がどうなっているのか、ずっと気になっていた。偶然にもこの時間のこの場所で目のあたりにするとは思いもよらなかった。
 車内の人数はまばらで、物静かな為に車体のきしみや独特のモーター音が車内にこもる。そしてこの車両が当初の車体年齢を大幅に過ぎている事は「五感」を通してひしひしと伝わってくる。それにしても臭い。
  今回の旅で初めて残り駅数をカウントした。列車は19:40に黒部駅に到着。急いで駅前に建つ旅館に向かった。

 
 
Page1■ 旅の始めは大糸線
page2■ 中央本線・大糸線で本州横断1
Page3■ 北陸本線で富山入り・氷見線に乗る
page4■ 一日の終わりは城端線
page5■ 高山本線で本州横断2
page6■ 篠ノ井線で姨捨駅をめざす
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