一路一会鉄道の旅・鉄路一会>3連休パスで廻る北海道と北奥州
   3連休パスで廻る   
  北海道と北奥州の旅  
 
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 弘前は津軽藩10万石の城下町であり、津軽地方の中心都市であったものの、幕藩体制が崩壊した後、明治新政府は、青森県の県庁所在地を弘前ではなく、青森へ置いた。旧徳川大名に対する政治的な意味合いが強かったものの、陸軍第八師団は弘前に駐屯して、教育の中心もいぜんとして弘前に置かれることになる。ちょうど長野県における長野と松本の例にも似ている。文明開化による近代化が青森県下でいち早く行われ、さらに戦災をまぬがれた為に、100年近い時を経た弘前市内には、明治・大正期の西洋建築や教会が現在も数多く残されている。
 青森最大の穀倉地帯である津軽平野の中心都市でもあるために、市内の酒蔵は8社を数え、近代的な駅舎である弘前駅のすぐ隣りにも「吉野桜」を醸す吉井酒造が蔵を構える。

 3連休のラストを飾る「リゾートしらかみ」の発車まで、まだ3時間ほど時間があるので、弘前城とその周辺を散策してみることにした。弘前は何度か来たことがあるが、車の止め場所が無かったり、町並み巡りのスケジュールに追われたりなどして、ゆっくりと散策した事は無かった。
 とりあえず、循環バスで弘前城をめざした。過去になんども撮影したランドマークとなる建物をバスの車窓から確認し、距離と位置関係を頭の中で組み立てる。携帯GPSを頼りに、帰りは駅まで歩いて行けそうだ。
 過去に訪れた際の多くは、観光客の少ない早朝を狙っていた為に、多くの施設もまた閉まっていた。よって今回は弘前城や青森銀行記念館をはじめ、弘前城周辺の施設や店を初めて歩くことが出来た。また駅に戻るまでにも、いくつもの伝統的な商家建築も発見した。意外な発見であった。


 少しまだ時間があるが、駅の物産館で地酒を2本買い込み、ホームで列車を待つ。向かいのホームには、E751系6両編成の特急「つがる」のが停まっている。今回の旅では見ることは無いだろうと思っていたから、思わぬ収穫である。
 やがて2番線に「リゾートしらかみ」が入線してきた。キハ40系改良のジョイフルトレインで緑基調の「ブナ編成」である。このほかに青と白基調の「青池編成」やオレンジ基調の「くまげら編成」など3つのバージョンがある。個人的には「青池編成」のデザインが好きである。
 しかし、これがキハ40か?昨年の只見線、初日に乗った大湊線の「快速しもきた」と同じ車両である。偶然にも初日の野辺地で見た「きらきらみちのく」のときと同じ感想と驚きだ。ただし、接続部分など随所に整形まえの面影が残されていた。腰の下まで開けた開放的な窓にハイデッカーのパノラマビューであるが、新造列車というよりは、「切って貼った」感がある。

 青森からやってきた「リゾートしらかみ」は五能線快速なので、一つ青森寄りの川辺駅まで1回もどり。ここでスイッチバックして五能線に入っていく。
 14:33「リゾートしらかみ4号・ブナ編成」はゆっくり後ろ向きに走り出りだした。唸るエンジン音がやはり旧型車両だ。いよいよ、終点秋田まで日本海沿いに210kmの旅の始まりである。快速だが只見線に匹敵する5時間を有する。快適なリクライニングシートで眺めるパノラマの車窓を肴に、リュックから地酒とつまみを取り出す。
 弘前駅を出て、最初右手に見えていた岩木山は、スイッチバックする川辺駅以降になると、今度は左手にの車窓に移動する。北津軽地方の中心都市五所川原。土偶の駅舎で知られる木造。五能線は岩木山を軸に外周を走りながら鰺ヶ沢で初めて日本海にでる。鰺ヶ沢は津軽藩の外港として栄え、北前船も出入りした要港だったが、今はその面影は無い。1号車で津軽三味線の実演がはじまる。リゾート列車ゆえのイベントである。
  
 やがて観光地としても名高い、深浦を過ぎると冬の日本海の醍醐味、眼下の岩場に荒波が打ち付ける景勝が続
く。これを見なくては五能線に乗る意味が無い。しかし、五所川原から地酒を勢いよく飲み始めた為に、海に出た頃には意識朦朧の泥酔状態。次ぎに気が付いたら、あたりは真っ暗。列車は能代直前である。

 五能線は東能代駅で再びスイッチバックするので進行方向が逆になる。運転手と車掌が移動する為、ここで若干の小休憩となる。気分が悪いので寒気に触れるために車外へ。ホームに降り積もった雪を手に取り、顔に押しつけて酔いをさます。発車ベルが鳴ったので、車内にもどり、シートを進行方向に回転させる。車内に乗客はほとんどいなかった。
 真っ暗で何も見えない車窓には、自分の顔だけが映り込む。最前列の展望ラウンジに移動して、運転席からの走行風景を楽しむことにした。暗闇の中にサイトで照らされた単線が浮かび上がる。運転席に目をやると、近代的な外観とは対象に、年期の入った運転台。この列車が旧式キハ40系気動車の改造車だということが分かる。



 列車は19:00を若干過ぎて終点秋田駅へ入っていった。予定時刻を過ぎているが、東京行きの最終新幹線「こまち34号」は最終列車なので接続を待っている。乗客の大半は一斉に新幹線ホームをめざす。新幹線ホームといっても在来線と同じホームの番線違いなのだが。
 「こまち」は全席指定席なので、席取り合戦になる心配は無く、気持ちに余裕がある。東京まで3時間あるの
で、空腹ではなかったが、駅弁とビールを買い、列車に乗り込んだ。
 E3系新幹線は今回初めてだ前回、何度も乗った山形新幹線のつばさには400系の他に、このE3系も運用されているが、見たのは1度だけで乗ったことは無い。

 東京駅には23:00に到着予定だ。秋田新幹線もまた大曲でスイッチバックして進行方向が変わるので、後ろ向きに動き出した。さすがに3連休最終日の上り最終列車だけあって見事な満席。大曲でもどっと乗ってきた。通路も乗客で溢れている。立ち席でも指定料金が発生するが、盛岡までは必要ない。大半はは盛岡までの乗客か、それとも盛岡で連結する東北新幹線「はやて34号」にダッシュして乗り込むのであろうか。

 大曲からは初日に乗った田沢湖線を走る。在来線で眺めた車窓と新幹線のそれは、新鮮なほど違いを感じるが、
このミニ新幹線、初日に乗った標準軌仕様の701系通勤列車の安定性に感動したのとは正反対で、乗り心地の悪さが非常にめだつ。左右の揺れも激しい。山形新幹線の在来線路ではこんな事は無かった。E3系の問題か?
 
  新幹線は急峻な山岳ローカル線を走り抜け、20:43に盛岡駅へ着く。「はやて34号」と連結する瞬間の衝撃を注意深く受け止めた。ミニ新幹線が本来の時速200km台で走った際の、乗り心地の最悪さは、山形新幹線「つばさ」でも十分に経験済みだったので、盛岡で他の立ち客同様に「はやて」へ移動しようかとも思ったが、連結する瞬間を待っていたために、その時間を逃し。なにより「はやて」も盛岡以降は全席指定席である事を思い出した。

 こまちは緩やかに走り出す。レール規格の違いによるものか、在来線と雲泥の差の乗り心地はさすがだった。雲に乗っているようである。しかし感心したのもつかの間、新幹線本来の速度へ向けて猛烈にダッシュを始めると、凶暴とも言える加速と同時に、上下左右の激しい揺れや突き上げが襲ってきた。東京までの2時間、これは堪え
る。極めて心身ともに疲れた。スーパー特急の域を出ないミニ新幹線の限界を感じた。
 上野駅で下車し、山手線や地下鉄を乗り継いで自宅に着いたのは0時すぎだった。明日からまた普段の日常が始まる。布団のなかでも体は揺れ続けていた。

 今回の3日間で移動した距離は約3,000キロ。実質約65,000円の旅である。3連休パスが無ければ1年はかかっていたであろう、濃密度の旅であった。





Page1■ 東北新幹線はやて 東京-八戸
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page4■ 釜石線-三陸-山田線
page5■ 花輪線-鷹ノ巣-弘前
page6■ 五能線リゾートしらかみ-秋田新幹線こまち
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