一路一会鉄道の旅・鉄路一会>四国フリーキップで廻る・四国ぐるり鉄道の旅(2)
   四国フリーキップで廻る   
  四国ぐるり鉄道の旅2  
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5:07松山駅発の特急「しおかぜ4号」(4M)は途中宇多津で岡山行きと高松行きに切り離される。5+2の7両編成で、操車場からゆっくりと1番線ホームに入線してきた。JR四国で一番あたらしいJR四国8000系だ。

予讃線の瀬戸内海側は線路の規格向上や複線化も進められ、電化区間である。よってJR四国8000系は電車特急もあって、ディーゼル列車に慣れた体には新幹線に近い快適さと速度感を味わえる。もっとも今日乗り換える駅の多度津には7時過ぎに到着予定なので、大半はまだ日の出前という事もあって、この最初の移動時間は睡眠に費やすことにした。もっとも瀬戸内海側は大きく発展し、大都市やコンビナートが続くのでローカル線の旅にとっては、重要な路線ではない。
耳に入ってくる線路のピッチは特急列車のもので、心地よいがリズムは昨日のディーゼル特急車よりも小刻みだ。

松山から西条で松山自動車道と同じようにショートカットすれば、かなり所要時間を短縮できそうだが、西北の主要都市北条や今治を結ぶことも義務づけられているようだ。今治までは瀬戸内海沿いを走るがまだ日の出前で車窓には闇しか見えない。

明治29 年に讃岐鉄道によって開業した金刀比羅宮参拝客の為の丸亀 - 多度津 - 琴平間が高松まで延伸した後、明治37年の山陽鉄道による買収を経て、同39年に国有化された。多度津から伊予三島までは大正6年に多度津線として延伸され、伊予三島から伊予西条までは西条線として建設された。伊予西条から松山までは讃予線として少しずつ伸びていき、最終的には南郡中(現・伊予市)まで開通した。そして敗戦間際に予讃本線が卯之町まで全通した。一方支線であった多度津 - 琴平間は後に阿波池田まで延伸され、徳島線と繋がり、さらに高知県側から延伸してきた高知線と繋がった際に土讃線として分離された。

予讃本線は分割民営化後、JR四国によって「本線」を外された。四国は電化が遅れており、旧来の線形では高速化も阻んでいた。そこで瀬戸内海に面した高松〜多度津間の複線化、さらに予讃線の電化が進められ伊予市までの区間が電化された。
この8000系はJR四国では最も新しい特急車両でカラーリングも少し行けている。最高時速160キロのスペックも持つもののあいにくJR四国内の線路規格では時速130キロでの運転が限界らしい。それでも、さまざまな工夫によって単線区間を運転する列車における表定速度は全国でもトップレベルとなる。

6:30ごろ、観音寺のあたりを過ぎてからようやく空に青味が載ってきた。観音寺は四国札所69番所観音寺の町で有明浜の「寛永通宝」銭形で知られる。下車する多度津まではもう1駅である。150km、時間の旅は終わった。

ローカル線の旅を基本としているが、実は今日に関していえば各駅停車の普通列車は1回しか乗らない。あとはみな特急列車である。豪華というよりも普通列車の本数がそれほど少ないのだ。四国を縦断かつ往復するので、これでも1日をフルに使うことには代わりはない。特急「しおかぜ4号」は多度津駅の1番線ホームに到着した。

多度津は金毘羅参りの玄関港として発展した西讃一の港町で、江戸期には丸亀藩の支藩1万石の多度津藩の陣屋が置かれていた。多度津港付近には古い町並みが残る。
多度津駅は四国で最初の駅と言われ、2面4線で木造駅舎の駅だが、車両工場や車両基地を抱えた大きな駅だ。

この多度津から土讃線に乗り換えて高知へ向けて四国を縦断するのだが、7:55発(31D)は、高松で「しまんと3号」と連結してやってくる岡山始発の特急「南風1号」で到着まで1時間近くある。

そこで、先に当駅を発車する普通列車(1235M)で少し先の琴平まで進むことにした。ちょうど3番線ホームにとまっている車両だ。JR四国7000系、両運転台の車両が2両連結。ステンレス製のワンマン車だった。車内のレイアウトは異形セミクロスシート。新造車だが、JR四国の列車はみな、古さを感じてしまうのが不思議だ。ちなみにJR四国の新造車は1000番台の独自の型式番号を名乗るのも特徴で車両の雰囲気も含めJRと言うよりは地方の私鉄の印象だ。

この列車には車掌もいる。なにより土讃線は琴平まで電化されているわけで、旅客数も多い物と思う。高知県まで延伸して土讃線となるまで多度津〜琴平間は予讃線の支線だったからだ。

(1235M)は5:52に多度津駅を出発して、1つめの金蔵寺で特急列車と列車交換。ちなみに駅名にもなった四国札所76番所は金倉寺と書く。善通寺で「快速サンポート」と交換の為5分ほど停車。快速サンポートの車両は国鉄113系を大幅リニューアルした車両。とても113系には見えない。顔だけは・・・。四国の列車にしてはかなり弾けている。車窓は都市近郊のベッドタウンから次第に田畑の比率が多くなってくる。善通寺も近くにあり弘法大師生誕の地らしい。讃岐平野独特のぽっこり山が点在している。わずか3駅で終点琴平駅に到着。
琴平は「こんぴらさん」こと金刀比羅宮の門前町だ。
琴平駅で少しばかり途中下車して、駅周辺や今日止まる宿の下見を行い、後続の特急「南風1号」を待つ。


 
6:40に琴平を発つ特急「南風1号」は昨日予讃線で何度も乗ったJR四国2000系振り子特急だ。カラーリングも特に路線色は無いらしい。南国をイメージした水色と黄色の2トーンだ。

琴平を出ると風景がガラリと変わり、一気にローカル色の濃い田園風景となる。列車はエンジンを回し続け、うねるように勾配を登っていく。田畑には霜が降りていて、淡いグレーの大地が広がる。進行方向に山塊が迫る。

黒川駅を過ぎると一気に山の中へ。田畑も段々畑、棚板になり、山の斜面の僅かな土地に集落が形成されている。振り子式特急列車は左右に車体を傾けながら、コーナリングを攻めるように山裾を縫って駆け上がっていく。

讃岐財田は香川県(讃岐国)最後の駅である。そして猪ノ鼻トンネルを抜けると徳島県(阿波国)に入るのだ。徳島県側最初の駅である辻堀駅はスイッチバックの駅であるが、特急列車は止まらないでスルーする。

箸蔵山の中腹にある箸蔵駅からは、眼下に吉野川と阿波池田の市街を見下ろすことができす。この駅もまた四国札所別格15番所箸蔵寺の玄関口だ。寺院とはロープウェイで結ばれている。「つ」の字に大きくカーブしながら山を駆け下り、吉野川に架かる鉄橋を渡ると徳島線の起点駅である佃駅を通過して阿波池田に到着した。

 
 
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Page3■ 阿波池田から金毘羅さんへ
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