< 三木の古い町並み
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  三木
みき
 旧家の町並みが残る金物の町・刃物の町
 兵庫県三木市本町2丁目・福井1丁目

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
金物の町 本町・福井
 
湯山街道筋 芝町・府内町
 
本要寺の裏手に残る金物問屋「作屋」黒田家邸
神戸市の北西に接する三木市は古くから金物の町として知られ、上の丸町にある金物神社では鍛冶の伝統技術を伝えていくため、鋸(のこ)・鑿(のみ)・鉋(かんな)・鏝(こて)・小刀(こがたな)などの製造業者が交替でふいごを使った古式ゆかしく金物を鍛える古式鍛錬の実演を毎月行っています。

金物神社近くに三木城跡があります。三木城は戦国時代、織田信長の元で東播磨最強の武将として勢力を誇った別所氏の居城でした。しかし、4代別所長治は織田信長に背いて毛利氏に与し、羽柴秀吉による歴史上有名な2年にも及ぶ兵糧攻め「三木の干殺し」によって落城。城兵や領民の命と引き換えに長治は自刃します。

秀吉は、この戦いで焼け野原となった三木の町を、毛利氏に対する拠点としする為に、緒役・地子銭(税金)の免除の特権を与え町の復興に努めます。
町には復興に携わる大工職人が各地から集まり、それは同時に大工道具の大量需要を生みだし、やがて三木の町は木工・金物職人の町として発展していきます。
江戸期になると、金物の原材料や製品を取り扱う仲買人や問屋が台頭し、さらに他の地域へ販路を広げるまでになりました。

本町2丁目、本要寺の裏手に、江戸時代から続く金物問屋「作屋」清右衛門を称する黒田家など、金物問屋の重厚な商家が軒を連ね往時を偲ばせています。
この町並みは本町地区でもっとも大きく、かつ文化財級のもので景観の整備が行われています。これ以外に同じく本町2丁目JA三木市南会館の裏路地にも伝統的な商家や旅籠、旧遊郭を思わせるような建物が数多く残されていますが、こちらはあまり関心が無いようで、中には廃屋となっているものもありました。
さらに、神戸電鉄三木上の丸駅へ通じる商店街にも、アーケードや看板に埋もれて伝統的な商家がひっそりと時を過ごしてしました。
この商店街の道筋が摂津の有馬温泉に通じる旧湯山街道で、やがて街道筋の面影を色濃く残す府内町や芝町に出ます。

 
 
JA三木市南会館裏手に残る伝統的な家並み