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  窪川
くぼかわ
 昔も今も街道と鉄道の分岐点の町
 高知県高岡郡窪川町本町【高知県高岡郡四万十町本町】2006年合併

構成:商家・酒蔵・土蔵 駐車場:なし
 
本町の文本酒造


窪川は高知県西部に位置する山間の町。周囲を山に囲まれてはいますが、土佐湾へもすぐの距離にあります。古くから交通の要衝で、中村街道と窪川宇和島街道の分岐の町として町場が発達しました。現在も国道の他、JR窪川駅は土讃線と予土線の分岐として、町の性格は変わりません。最も昔と違い現在は通過点にしかすぎない零細都市で、活気はほとんどありません。

関ヶ原の戦い後、土佐に入封した山内一豊は、窪川に家老の林勝久を5000石で配した。林家は山内姓を与えられ、ここに6代117年続く窪川山内氏が誕生します。当初は四万十川に吉見川が合流する場所を見下ろす、古渓山に城が築かれましたが後に幕府の一国一城令で破却。かわりに麓に土居(家老の居館)が設けられます。この土居を中心に武家町が広がり、現在の茂串町から本町一帯が武家町、通称横町と呼ばれ、吉見川の対岸に町人町が形成されたようです。吉野川には橋が架けられ横町と町人町は結ばれていました。

しかし窪川山内家は無嗣断絶し、領内は荒廃していきます。土佐藩は窪川復興の為に新規郷士を取り立て入植によって開発を進めました。かれらを「仁井田窪川郷士」と呼び、こうして切り開かれた窪川は県下最大の水田面積を持ち、ここで生産された米は「仁井田米」として知られ、大正時代まで物資の主産地として栄えました。

かつて窪川城があった茂串山麓の岩本寺は四国巡礼第三十七番所・真言宗智山派の寺で、山内家歴代藩主の位牌が祀られています。

窪川は城下町としての性格が早くに途絶え、交通の要衝、物資の集散する在郷町として長く続いた為に、土居や武家屋敷の遺構はほとんど残されておらず、また古い町並みの密度も高くありません。窪川の町で最も古く、かつ状態の良い建造物は本町にある文本酒造であり、海鼠壁や水切り庇の見事な外観が目を引きます。
かつてはこの町にも8軒もの酒蔵があったと言われていますが、現在はこの文本酒造ただ一軒だけとなってしまいました。

(2009.1)



明治36年創業の文本酒造、かつて窪川には8軒の酒蔵があった。
 
 
窪川の酒蔵          
清酒 「桃太郎」 文本酒造 高知県高岡郡四万十町本町4-23 0880-22-003