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小田町村

おだ まちむら

小田川上流の山間部の町・小田町の中心部・新谷藩の在郷町

愛媛県喜多郡内子町小田字町村【旧・上浮穴郡小田町】2005年合併

 



内子町の中心部から肱川の支流の一つである小田川を上流へ遡って併走する国道379号線と380号線を乗り継いで走る事、約18km。旧上浮穴郡(かみうけなぐん)小田町は四国山地の中に奥深く入った周囲を山に囲まれた山村の町です。この地域は古くから小田郷(中世には太田とも)と呼ばれ、戦国時代は伊予の勢力が土佐に対する防衛線としての要地で多くの城が築かれていました。そして現在の小田町の中心部には江戸時代から街村が形成され在郷町として発展していました。


その在郷町は小田川を境に東西に分かれており、西側の寺村は大洲藩支配の町、一方現在の小田町役場(小田支所)があるこの町村は、大洲藩の支藩である新谷藩が支配する町でした。 町村は旧国道沿いに商店街を形成し、町役場の他、病院や派出所、郵便局、銀行などの官公施設が集まっています。古くから伊予・土佐の軍事的要衝であった為か、それとも単なる地形によるものか、町の西側には直角に折れ曲がる桝形のような形で町並みが続いていました。


この町村は幕藩体制が終焉を迎えた後の明治22年に隣接する寺村、日野川村、大平村と合併して小田町村が成立。町村が古くからの小田郷の中心地だった事にちなみ新しい村名にも引き継がれます。その後小田町村は昭和18年に石山村を合併、昭和30年に小田町村・参川村・田渡村が合併して町制を施き小田町となりました。平成の大合併直前の小田町の人口は約3,800人ほどでしたが、昭和の最盛期には1万1000人ほどの人口を有していたといいます。















町の入口で直角に折れ曲がる「桝形」は藩政時代の名残

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