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伊方
いかた
 佐多岬半島の鰯漁で栄えた平家落人伝説の港町・伊方杜氏の里
 愛媛県西宇和郡伊方町湊浦 【2005年に三崎町・瀬戸町を合併】
商家・洋風建築・旅館建築・酒蔵  なし  JR予讃線・八幡浜駅からバス
 
 
伊方町は佐田岬半島東部に位置する人口約4,000人ほどの町でしたが、2005年に三崎町・瀬戸町を合併して佐多岬半島の大部分を占める町になりました。この伊方町には四国電力伊方発電所(原子力発電所)があり、四国の電力消費量の実に約5割を供給している事から財政的にも恵まれていた為に、合併後も依然、新伊方町の中心となっています。

伊方の歴史は古く、中世に壇ノ浦の合戦で敗れた多くの平家の落人が逃れ住んだと言われていて、それに由来する地名が町内各地に残されています。戦国期には中浦に藤原義通が丸岡城を構えていましたが、土佐一条軍によって滅ぼされ現在その姿はありません。またこのころから伊方浦、九町浦、二見浦と現在の伊方町3港に通じる漁村が成立していました。

伊方は江戸期を通じて宇和島藩領で、鰯漁とその加工業で栄え、その生産量は藩内で最大規模でした。鰯網漁の網株をもつ網元には庄屋、組頭を兼任させて浦方支配の特権的地位を与え、また伊方には番所を置いて、干鰯やイリコは藩の専売品として統制ました。鰯漁には専用の漁場を設定し、漁業の独占権の他、漁場の変化を防ぐ為に、内陸の山林の伐採を禁止したりするほどの徹底した保護殖産政策を行っていましが、ただし網船の建造には藩有林の使用を特例として認めました。このような特権政策はやがて腐敗を生んで大規模な騒動を引き起こします。

漁業の隆盛も長くは続かす、明治末期から昭和初期にかけては「杜氏」としての出稼ぎが盛んになります。これが後の伊方杜氏の始まりです。冬季の農閑期や休漁期間中の行商や出稼ぎは古くから行われていた櫨(はぜ)の実搾りやイリコの行商の中で酒造技術を習得していったと言われ、幕末の安政年間にはすでに伊方杜氏の名があったといいます。明治40年には利き酒会が発足し、同44年には伊方杜氏蔵夫組合が結成。この伊方杜氏は昭和10年ころが最盛期で、約600名もの杜氏、蔵夫が四国の他、九州、西日本各地、さらには海を渡り朝鮮半島、台湾まで渡って酒造りに携わり、これが旧・伊方村の財政を支えていたのです。そしてその伝統を受け継ぐ伊方杜氏は現在も15名が登録されています。町内には漁村ながらも2軒の酒蔵がありましたが、現在は1軒だけとなってしまいました。



湊浦地区から中浦地区にかけて古い建物や旅館が見られます
 
港浦地区にある松田酒造
川永田地区にある佐々木本店は廃業してしまった
伊方の酒蔵          
清酒 「宮乃舞」 松田酒造 愛媛県西宇和郡伊方町湊浦1003-2 0894-38-0801
清酒 「日々の力」 佐々木本店 愛媛県西宇和郡伊方町川永田甲142 0894-62-0223