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  備前福岡
びぜん ふくおか
 多くの刀工を生み出した長船鍛冶の里
 岡山県邑久郡長船町福岡

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

備前刀の産地として知られる備前福岡。福岡と言えば九州の福岡が真っ先に思い浮かびますが、この備前福岡は九州からの移住者によって作られた町では無く、実はこちらが本家本元。当地出身の黒田家が関ヶ原の戦い後に筑後福崎52万石を拝領して、かの地を福岡に改めたのです。

備前福岡とえば、日本刀に多少なりの造詣がある人ならば誰もが知っている、数々の名刀を生み出した長船鍛冶の里でもあります。古くから中国山地で産出される砂鉄や薪炭の入手が容易だったことで、刀鍛冶が集まり住み、福岡一文字派と呼ばれる備前刀工を輩出し、長船鍛冶は全国で活躍しました。

備前福岡の歴史は古く、鎌倉時代から山陽道における軍事・経済の要衝として繁盛していた「福岡市」の町は、はじめ吉井川の左岸にあり、一日市(ひといち)と共に山陽道の宿場町を形成していました。しかし、大永年間(1521頃)の大洪水で吉井川は流路を変え、現在の右岸に移転します。この災害で長船鍛冶は壊滅的な打撃を受け、生き残った多くの刀工達も各地へ離散してしまいました。

近世に入り、宇喜多直家による岡山城と城下町の建設にともない、福岡の商人たちの移住が行われ、のちに岡山藩の在町として振興が行われるものの、かつて商工業で栄えた福岡の町の斜陽は始まり、日蓮宗妙興寺の門前町を経て明治期には農村集落へと変わっていきます。

現在、吉井川堤防にそって広がる農村地帯と工業団地の一画に残された福岡集落には、本瓦になまこ壁、虫籠窓に出格子という重厚な商家が立ち並び、東小路・西小路・上小路・市場小路など、およそ農村集落には似つかわしくない商業町としての遺構が数多く残されていました。