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  丹波篠山
たんばささやま
 城下町の街並みを残す篠山藩青山家6万石の城下町
 兵庫県多紀郡篠山町河原町・立町・呉服町・西新町 【兵庫県篠山市】

 構成:商家・町家・酒蔵・武家屋敷 ■ 駐車場:無料観光P
 
 
瀬戸内海と日本海のちょうど中間に位置する篠山盆地。丹波の黒豆が有名ですが、
川原町の妻入商家群など往時の街並みを色濃く残す城下町でもあります。

関ヶ原の戦いで勝利を収め、江戸幕府を開いた徳川家康もこの時期はまだ完全には安泰とは言えませんでした。
大坂城には豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼が健在で、旧豊臣大名たちも未だ勢力を温存していたからです。家康は近畿地方の主な城に信頼する大名たちを集め、大坂城包囲網を形成します。山陰道の要衝であり、大坂城と西日本の諸大名を分断する戦略的要地である篠山には家康の実子である松井松平康重を移封させました。
そして笹山盆地中央にある小さな笹山の地を家康自ら定め、築城の名手藤堂高虎をはじめとする西国15カ国の20家にのぼる諸大名に普請を課し、莫大な人員、財力を投入して篠山城の築城は行われ、わずか6ケ月で基礎部分が完成します。
篠山城には天守閣は築かれず、決戦を想定した実戦的な要塞として仕上げられました。城下町はその後40年かけて整備されます。
丹波篠山には以後、徳川家譜代の松平3家と続き、最後は丹波亀山と入れ替わりで青山家が入り明治を向かえます。青山家も三河時代から家康に仕え、幕府老中も務めた家柄でした。

篠山城下町はまず、篠山城を取り囲む形で武家屋敷が配され、今も数棟の武家屋敷が残されています。
つぎに京を結ぶ篠山街道を城下に引き入れ、それに沿って町家が並びました。
その中で商業の中心地として最も発展したのが河原町で、切妻妻入りの商家が並び
往時の面影を色濃く残す街並みとして知られています。

最後に呉服町に丹波篠山の地酒、鳳鳴酒造の酒蔵があります。「ほろ酔い城下蔵」として観光案内、イベントスペース、酒の販売店として公開されてる商家は、国の有形文化財に登録されている築200以上の建物です。
さらにこの蔵は「音楽振動醸造酒」という醸造法を最初に行った蔵でもあります。
(たぶん) 音楽振動醸造酒とは音を振動エネルギーに変換して酵母菌に効かせる事により酵母の死滅率を下げ、お酒の分子構造が非常に細かくする働きがあり、
口当たりがマイルドで体にやさしいお酒になるとか。まあ、詳しくは酒蔵で。

 

 
 
丹波篠山の酒蔵          
清酒 「鳳鳴」 鳳鳴酒造 兵庫県篠山市篠山町呉服町73 0795-52-1133