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  高砂
たかさご
 加古川河口に築かれた要港
 兵庫県高砂市高砂町南本町(材木町・今津町)

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし(港湾P)
 
 

姫路市と加古川市に挟まれ、播磨臨海工業地帯の一画を占める高砂市。
かつてこの海岸線が「高砂の松」で知られる風光明媚な景勝地であり、多くの文人墨客が訪れた港町だったことなど、誰が想像でるでしょうか。

高砂は古くから内海の寄港地として交通・軍事上の要地であり、加古川上流の城下町にとっても重要な外港でした。戦国時代には三木城の外港の守りとして高砂城が築かれましたが、秀吉による三木城攻めともに落城してしまいます。
かつて高砂港誕生以前の加古川河口の港町は加古川左岸、現在の加古川市尾上にありました。しかし土砂の堆積によって港の機能は失われ、新たな港の建設が急がれます。
関ヶ原の戦い後、姫路城主となった池田輝政は家臣中村主殿助に命じて高砂城を築かせ、高砂港の建設に乗り出します。加古川の本流を右岸の高砂を流れる様にし、河口に新港を築造。市中に堀川を設けて港とし高砂の町の原形が整います。
高砂城は元和の一国一城令により取り壊され、築城にあたって移転されていた高砂神社が戻されます。現在も境内の一画に石垣などの遺構が残ります。

元和3年池田氏に替わって姫路城主となった本多忠政は高砂の町の対岸にあった今津町などの住人を移住させ、本格的な町づくり行い今に残る碁盤目状の整然とした港町を整備します。町政は町奉行監督のもと、町の有力町人層の中から数名が大年寄に任命され実務を担当しました。港には姫路藩の年貢米収納蔵(百間蔵)をはじめ加古川流域の諸藩・幕府天領の年貢米収納蔵が設置され、商品流通の統制の為に藩の役所や町方の会所が置かれます。高砂川、南堀川に沿う東浜・南浜・材木・今津の各町には船着場や荷揚場があり、問屋の蔵が建ち並び、高砂港は加古川舟運と瀬戸内海航路の港町として急速に発展しました。

しかし、幕末から明治にかけ高砂港は衰退の一途をたどります。新興商人の台頭により特権商人の衰退、加古川の土砂堆積にる港の機能の低下、さらに幕藩体制の崩壊による年貢米制度の廃止はそれまでの流通経済におおきな打撃を与えます。
さらに、鉄道の施設に反対したことにより、物資集散地の機能は駅が置かれた加古川町に再び移り、高砂の衰退は決定的なものになりました。

高砂の起死回生が始まるのは工業社会の到来を待たなくてはなりません。
旧制度の象徴である年貢米収納蔵の広大な敷地を有していた高砂はその跡地に工場の誘致を行い、三菱製紙をはじめとするさまざまな工場が進出、埋立地の拡大により現在の姿へとなります。かつての港町高砂港の街並みは、播磨臨海工業地帯の埋立地の片隅にひっそりと佇み、町中には往時を偲ばせる町並みが今もさりげなく残されています。

 
 
 
 
高砂の酒蔵          
清酒 「惣盛」 西谷酒造 兵庫県高砂市米田町米田794-1 0794-32-3502