一路一会古い町並みと集落・山陽兵庫>飾磨
  飾磨
しかま
 生野銀山の積出港として発展した港町
 兵庫県姫路市飾磨区須加・飾磨区天神・飾磨区大浜

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:なし
 
飾磨区大浜の裏路地に佇む黒漆喰の商家
姫路市中心部の南に位置する飾磨は早くから開けた港町で、古くは飾万・鹿間とも書き、国府や国分寺が置かれた古代播磨国の中心でした。
飾万津湊は近接する網干や今在家に比べると小規模な港町でしたが、それでも平安期から続く瀬戸内海航路有数の重要な港となります。江戸初期に姫路藩の藩港として栄え、飾万津と姫路城下の往来筋に町場が発達していき、城下町と一体化していきました。

飾磨港が大きく発展するのは明治になってから。「官営生野銀山(生野町)から産出する鉱物の積出港に位置づけられ、生野〜飾磨港間を結ぶ生野銀山道は車両通行可能な道路に改修されます。さらに鉱物の鉄道輸送を行うために、生野〜飾磨港間に鉄道(現JR播胆線)も敷かれました。
戦後臨海部には山陽特殊製鋼を初めとする大規模工場が立ち並び、播磨臨海工業地域の有力な一角を占めましたが、近年第二次産業の衰退により撤退が相次ぎます。
そこで工場跡地の再開発案が持ち上がり、敷島紡績(現・シキボウ)姫路工場跡地に大規模ショッピングセンター姫路リバーシティが建設されました。

飾磨港に残る往時の町並みは、姫路リバーシティの国道を挟んだ南側、飾磨区須加・飾磨区天神・飾磨区大浜地区に点在する形で残されています。
裕福な商人の重厚な屋敷は須加・大浜・天神と広範囲に見られますが、その内天神には平入りの町家が軒を連ねる町人町らしい街並みが残されていました。

ちなみに姫路市における飾磨区などの「区」は広域地域名の冠称で、 1946年の大規模な市町村合併の時に用いられた、いわば「大字」の上位単位として設けられた代用単位です。
姫路市はまだ政令指定都市では無く、この「区」には当然ながら法人格は無く、役所や支所など行政機関もありません。
■ところで平成の大合併では同じように法人格を持たずに旧町村名を冠称する「地域自治区制」(上越市など)と法人格を持つ「合併特例区制」(岡山市など)があらたに採用されました。いずれも暫定的な行政単位ですが、けっこう紛らわしいものです。
 
飾磨区天神の商家