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  出石
いずし
 「但馬の小京都」と呼ばれる出石藩千石家3万石の城下町
 兵庫県出石郡出石町内町・八木・本町・魚町

 構成:商家・町家・酒蔵・城址・辰鼓櫓 ■ 駐車場:有料観光P
 
魚町の出石酒造の土蔵街

「但馬の小京都」と呼ばれる出石は出石そば、出石焼き、そして辰鼓櫓(しんころう)で知られる山間の小さな城下町。
はるか昔の神話の時代にもその名が記され、室町時代に但馬守護山名時義が荒はてたこの地に城を築いて、但馬拠点の城下町としたのに始まります。
城は高城(有子山城)と呼ばれ、標高320mの有子山頂に築かれました。

近世の出石藩は秀吉の時代に城主となった小出吉政に始まります。小出家は関ヶ原の戦いで兄弟が東西に分かれて戦い、豊臣大名でありながら小出家はかろうじて出石を安堵されます。その後園部藩小出家が分家し、宗家は岸和田藩を経て再び出石へと戻りますが、跡継ぎが無く改易されてしまいます。
替わって藤井松平忠周が4万8000石で入封し、その後すぐに信濃上田藩と入れ替えで、千石政明5万3000石が封じられ以後明治まで7代165年続きます。

出石のシンボルである辰鼓櫓は藩政時代に毎朝辰の刻(午前8時)に、藩士に登城を告げる太鼓が打ち鳴らす為に設けられたもで、櫓の上部の時計は近年に取りつけられたものです。
名物”出石そば”は仙石氏が信濃上田藩より入封した際に、信州のそば職人をつれてきたのが始まりとされており、出石の名産”出石焼き”の皿にもるのを発案したのも藩主とか。

出石千石家は芝居や講談で題材となった、俗に「千石騒動」とよばれるお家騒動で有名です。物語では家老が自分の子を藩主にする、お家乗っ取り話しとなっていますが、史実は藩の財政再建策を巡る派閥対立が原因で、これが幕府内部の政争に利用され家老千石左京は獄門、一派も死罪となり出石藩は3万石へ減封されます。
なお財政破綻寸前にまで達した出石藩は、大政奉還によって明治政府に肩代わりされ、自滅をせずに出石県へとなりました。

出石は小さな城下町なので散策は楽に行えます。碁盤の目に町割りされいたる所に伝統的な町家や商家が残っています。
その中で、出石のもう一つのシンボルとも言える「出石酒造」の土蔵街を忘れてはいけません。魚町の片隅に建つ出石酒造の土蔵は明治の大火を乗り越えた、屋根以外がすべて土壁の建造物で、おおよそ中央アジアから中近東を彷彿させるその外観は迫力このうえありません。出石には3回ほど訪れていますが、今回はこの蔵を見るために、わざわざ足を運びました。
ちなみにこの蔵で醸される地酒”楽々鶴”は(ささづる)と読みます。

 
 
出石のシンボル辰鼓櫓と八木の街並み
出石の酒蔵          
清酒 「楽々鶴」 出石酒造 兵庫県出石郡出石町魚屋114-1 0796-52-2222