一路一会古い町並みと集落・山陽>広島>高野山新市

高野山新市
たかのやま しんいち
 備後最奥に位置する交通の要衝・出雲路2ルートの宿場町
 広島県庄原市高野町新市 【旧・比婆郡高野町】2005年合併
商家・町家・土蔵  なし  JR芸備線・三次駅、庄原駅から各バス
 
 

高野町新市は広島市街から約100km、広島県最北端の山間の町で、中国山脈の脊梁をなす山々に囲まれた県下最大の豪雪地帯。また山陰山陽の分水嶺の地でもあります。

平安末期から豪族多賀山氏の本拠であった事から多賀とも多賀山とも呼ばれ、それが転訛して後の高野山となったと言われています。昭和の合併で高野山町となりますが、山村のイメージを払拭するべく”山”を取って高野町となりました。

その高野町の中心市街である新市に、出雲路の宿場町時代を偲ばせる町並みが残されています。もともとは中世からこの地を治めていた多賀山氏の居城が、新市の東方にある蔀山(しとみやま)にあり、その麓の城下町・市場町である上市に対して、砂鉄生産や出雲路交通の発達による利便性の向上の為に、あらたに街道の要衝に成立された町が新市の始まりです。

江戸時代になると、広島藩最北端の要地として宿場町となり、伝馬7匹が常置されます。
この新市では南の三次から来た出雲路(阿井越道)と東の庄原から来た出雲路(高野山道)が合流し、王貫峠を越えて出雲国阿井へと至りました。

和鉄生産が衰退し、藩政も無くなった後は、交通体系も変わって陰陽連絡の要衝としての地位は失われていきます。産業構造の変化も無いまま、県下最奥の町は時間の流れが最も遅く進んでいる錯覚を覚えるように、明治・大正期の町並みが残されているようです。

この町にもまた、静寂に溶け込むような水のせせらぎが響いていました。

 
 
北へ延びる出雲路の旧道筋の家並み
 
朽ちた土壁は気候の厳しさを物語る
この町にも静寂の中に水のせせらぎの音が響く
 
完全な古い町並みでは無いが、町並みに統一感は見られる、のどかな山里の町である。