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神辺
かんなべ
 広島で最も街並みの残る山陽道の宿場町
 広島県深安郡神辺町川北(三日市・七日市) 【福山市神辺町川北】

商家・町家・酒蔵・本陣・土蔵  なし  JR塩複線・神辺駅 
 
 
山陽道は備中と備後の国境を越え、備後国の国分寺が置かれた神辺宿を通って、福山城下へ至ります。神辺は古代備後国府が置かれたという説もある町ですが、地図を見ても交通の要衝である事は一目で解ります。

建武2年(1335)備後国守護となった朝山景連によって神辺城が築かれ、戦国期には毛利氏の支配するところとなり、このころ城下町や山陽道の宿場町、三日町、七日町、十日町などの市場が形成されました。
江戸時代に入り、水野氏が10万石で福山に入封し福山城と城下町を建設すると、備後の中心は福山へ移り、以後神辺は山陽道の宿場町として生き残ります。

神辺宿には本陣が2つあり、西本陣と呼ばれた三日市の尾道屋菅波家と、東本陣と呼ばれた七日市の本荘屋菅波家です。現在残っているのは三日市地区にある旧西本陣菅波家で県の重要文化財に指定されています。また広島県下の旧宿場町で、本陣が往時の様式のまま残されているのは、ここ神辺宿だけといわれています。

旧山陽道が幾度も直角に折れ曲がる三日市地区の菅波家本陣周辺には、塗籠造りになまこ壁の重厚な商家が建ち並らび、ここから七日町へ通じる道筋には修景された白壁の商家が軒を連ねます。さらに街並みは七日町の「天宝一」の酒蔵まで続きます。
宿場町の佇まいがこれほど残されているのは奇跡とも言え、町としてもなにかしらの対応を要求されるこのと思います。少なくとも福山市となったからには尚の事。

 
 
 
 
 
神辺の酒蔵          
清酒 「天宝一」 天宝一 広島県深安郡神辺町川北660 0849-62-0033
清酒 「美の鶴」 美の鶴酒造 広島県深安郡神辺町下御領1288 0849-65-0111