一路一会古い町並みと集落・山陽>広島>西城

西城
さいじょう
 和鉄生産の取扱で日本一を誇った山間の小さな町
 広島県庄原市西城町西城【旧・比婆郡西城町】2005年合併
切妻平入民家・土蔵  なし  JR芸備線・西城駅
 
 

西城町は広島県の北東端。鳥取県と島根県に接する奥備後の小さな町の一つです。中国自動車道・庄原ICから約15km。JR芸備線が町の玄関口となっています。

地名は隣町の東城と共に、南北朝時代に奴可郡を東西に分けた西条・東条に由来し、江戸時代に”西城”と改められました。
古くから出雲路・備中伯耆路が通る要衝の宿場町で、元和5年に広島へ浅野氏が入封したのち、西城には代官所が置かれ、奴可・三上両郡をまとめる政治の中心地となります。

さらに東城と共に和鉄の集散地として繁栄、「東城・西城はくろがねところ」と歌われた製鉄の町となり、物資輸送の為の牛馬市は「西城市」の名で活況を呈しました。
最近の調査では西城町域で56ヶ所もの鈩があったとされ、広島藩も奴可郡の産鉄の管理監督するための西城町御鉄会所を設置(元文5年に閉鎖)、明治20年代前半までは、国内一位の生産量を誇っていました。

しかし、製鉄産業は新しい時代を迎え、八幡製鉄所が操業を開始すると、和鉄の生産は衰退を初め、大正10年には県内で最後の鈩の火が消えてしまう事になります。

和鉄生産の終焉の後も、西城の家畜市場は毎月5日に開催され昭和38年まで続きますが、鉄道が開通したあとも、産業構造は大きく変わらず過疎化と衰退の一途をたどります。かつて舟運が盛んだった西城川は水害対策の護岸工事と掘削によって、その姿を大きく変えてしまいました。

また、山裾と西城川に挟まれた狭い土地に形成された旧市街に発展の余地はなく、現在町の中心は対岸の大佐地区に移っている現状の中で、かつての西城地区には取り残された古い町並みが残ります。しかし、建物の年代は若く、大正時代から昭和にかけて建てられた町並みです。