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  御来屋
みくりや
 建武の新政旗揚げの地である、山陰道・伯耆街道の宿場町
 鳥取県西伯郡名和町御来屋

 構成:商家・町家・酒蔵 ■ 駐車場:なし
 
 
大山北麓の日本海に面した名和町の中心部である御来屋は江戸時代には伯耆街道(山陰道)の宿場町として発展し、その後鳥取藩の藩倉が置かれ汗入郡中心の物資集散の地として栄えた町でした。さらに御来屋は古くからの港町でもありました。
御来屋 の地名はすぐに「御厨」を連想させました。御厨とは皇族や伊勢神宮が領する荘園の事を指しますが、はたして古くは「御厨」と書いたそうです。しかし、皇族や神宮がこの地を領した記録はなく、中世頃までは豪族名和氏の領地だったと言われています。
歴史の中でこの御来屋を舞台にした有名な出来事に、隠岐に配流されていた後醍醐天皇が、隠岐を脱出しこの地に上陸したことがあげられます。ゆえに御来屋は「建武の新政、旗揚げの地」として紹介されていますが、後醍醐天皇の上陸地とされる場所は県内の港町いたる所にその言い伝えがあります。この後醍醐天皇の隠岐脱出に尽力したのが、豪族名和氏であり後醍醐天皇の側近として権力の中枢に携わるほどに出世したのですが、建武の新政もわずか2年であえなく崩壊。名和氏もまた滅亡します。
時を経て九州に落ちのびていた名和氏の子孫がこの御来屋に戻り、名和神社を祀ってその宮司となり今に至るといいます。
御来屋の町並みは日本海沿岸部の宿場町特有の面影を残していますが、北陸越地方に見られる切妻妻入りの建物は無く、平入り2階建ての家並みが軒を連ねます。
のどかさを絵に描いたような町並みの中心には、ちゃんと宿場町らしく1軒の酒蔵がありました。しかしこれといった看板も暖簾も無く、すでに酒造りはやめて小売店に転じた酒蔵の空気を漂わせていました。
店の入り口のガラス窓から中をのぞき込むと、「大和鏡」を銘打った清酒の一升瓶が棚に誇りをかぶったように並んでいる。(実際はかぶっていません)地元限定で少量の普通種だけを醸している蔵かと思い、一瞬悩みましたが旅の記念にと勇気を振り絞って店内に入りました。そして対応していただいたお婆ちゃんとのやりとりは省略して、最初は気が付かなかった店内にあった冷蔵陳列棚にならんだ特定名称酒の数々に意表を突かれ、さらに本醸造クラスでも50%もの精白を行い、その味もまた非常に洗練された中にも地酒らしい個性を秘めた、極めてレベルの高い酒であった事に驚き
思わぬ収穫に満足を得ながら町を後にしました
 
 
御来屋の酒蔵          
清酒 大和鏡 角田酒造 鳥取県西伯郡名和町御来屋916 0859-54-2006