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  智頭
ちず
 家々に杉玉が下がる、智頭往来(因幡街道)の宿場町
 鳥取県八頭郡智頭町智頭

 構成:町家・屋敷・酒蔵 ■ 駐車場:なし
 
 
智頭町は智頭往来(上方往来・因幡街道)の宿場町であるとともに、備前街道・中山筋(作州往来)との追分宿として2つの町場からなる最も栄えた宿場町でした。
智頭往来の歴史は古く、平安時代からすでに因幡と畿内をむすぶ官道の記録があり、時を経て江戸時代になると鳥取藩主の参勤交代道として重要な役割を担うようになります。その智頭宿には鳥取藩主が休憩する茶屋本陣が、2つ置かれていました。
しかし明治にると、河原町から若桜を抜け戸倉峠を越えて、播州山崎に至る若桜街道(播州街道)が因幡街道の新道となり、取り残された智頭は宿場町としてだけではなく、政治経済の中心地としての役割も大きく失われていきました。

こうした結果、智頭には現在に見られる古い町並みが残ったのです。智頭往来筋には諏訪酒造、マルテ醤油などの蔵が今も現役で、備前街道筋である横町通りとの辻には旧家の米原家の重厚な屋敷(非公開)があります
智頭宿に訪れた時最初に目に止まり、疑問を感じたのが、各家々の軒先にぶら下がる杉玉でした。杉玉は酒杉とも呼ばれ、お酒の神様が宿る御神体で、酒蔵がその年の新酒ができた事を知らせる為に、新しい青々とした酒杉を掲げているものです。
しかし智頭のこれは、この町が遙か江戸期から始まる林業の町であり、杉の霊を祀った杉神社にちなんだものだそうです。

智頭が杉の町となったのは江戸時代の文化9年(1812)に遡ります。鳥取城下の大火災により大量の木材が必要になりました。ところが天然の木材だけでは需要が賄えず、人工的な植林の必要性が求められたのです。こうしてこの地域に約11万6000本も杉苗が植えられ、智頭林業の始まりとなりました。現在も町の9割以上が山林を占めるこの町の産業に変わりはありません。

    
横町の商家群
智頭往来と備前街道の辻にある「木綿屋」米原邸
鳥取を代表する銘酒・諏訪酒造
智頭の酒蔵          
清酒 「諏訪泉」 諏訪酒造 鳥取県八頭郡智頭町智頭451 0858-75-0618