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頓原

とんばら

かつて飯石郡南部における行政の中心地だった高原の小さな町

島根県飯石郡飯南町頓原  【旧・飯石郡頓原町】2005年合併

 


出雲市から南へ約30km。広島県高野町に接する奥出雲の高原の町・頓原。出雲大社の南側で日本海に流れ込む神戸川の支流頓原川と、さらにいくつもの支流が合流する場所に頓原町の中心があります。南北に出雲街道(現在の国道54号線)が通りますが、頓原の市街は頓原川に沿って東西に商店街を形成しています。時は戦国期、現在の広島から北九州にかけて支配した大内氏が出雲への侵攻の際、この地に軍勢を駐屯した事が「頓原」の地名の由来と言われます。


また東の吉田村との境には、約3キロ平米にも及ぶ大高原があり、それを国王原と呼んでいる事からも平坦な高原からなる地域であった事も、頓原という地名に繋がっていくようです。耕作には恵まれない地域でしたが、江戸期以降はたたら製鉄が主な産業としてこの地域の経済を支えました。頓原における鉱山経営を行ったのは吉田村の大鉄山師・田部家です。つまり、頓原の町場は出雲街道沿いではなく、吉田村と繋がる往来沿いに形成されているのです。江戸時代における頓原の支配は広瀬藩で、飯石郡代官所が頓原に置かれ「群本」と呼ばれている事からも、飯石郡の政治的な中心地でもあったようです。


中国山地の脊梁部に位置する頓原は、長い間冬季には豪雪の為に交通が途絶える陸の孤島であり、それが解消されるのは国道54号線や青雲トンネルが開通する戦後まで待たなければなりませんでした。しかし現在はその陰陽連絡道の通過点として、町に大きな恩恵はもたらさなかったようですが、経済的にも”陸の孤島”である事は今も変わらず、ゆえにこの山間地域における商業的な中心地として、頓原の中心商店街は活気づいていました。



僻地の商店街としては寂れていない町並みが維持されていました

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