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  龍田
たつた
 竜田越え・奈良街道の要衝として賑わった街道町
 奈良県生駒郡斑鳩町龍田

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:なし
 
 
古代から大和と河内を結ぶ街道はいくつかありましたが、「竜田越え」は法隆寺の前から竜田の町並みを抜け、現三郷町立野にある竜田大社本宮を経て竜田山を越え、河内・難波へ抜ける道筋で、近世には奈良街道または大阪街道と呼ばれ、現在は国道25号線に相当する道筋です。竜田越えと呼ばれた道筋はいくつかのルートがありましたが、柏原市雁多尾畑を抜ける現県道本堂高井田線がもっとも一般的な道筋だったようです。人が並んで進めないほど狭く険しい道筋でしたが、多くの人々が行き交いました。
大和川支流である竜田川の東に位置する斑鳩町竜田(龍田)は、中世から交通の要衝として市が開かれ人々で賑わいました。さらに江戸時代になると幕府公認の街道町として発展し、旅籠屋も次第に数を増やし宿場町的な町へと変わっていきます。
また竜田には賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる片桐且元が、豊臣秀吉の老臣として竜田に1万石を領し、関ヶ原の戦い及び大阪の陣で家康に与して竜田藩4万石の陣屋町だった時期もありました。片桐家は子に恵まれず以後各代に渡り危機を乗り越えていきますが、結局無嗣改易となって竜田藩は廃藩となります。

斑鳩町役場前から旧奈良街道に入ると、龍田神社付近から厨子二階の伝統的な商家建築が軒を連ね始めます。かつての人の往来はもはやありませんが、建物は適度に手入れがなされ往時の面影を漂わせています。

ちなみに唐揚げの一種「竜田揚げ」は材料に染み込んだ醤油の色が、揚げることで紅葉のような色合いになり、古歌に詠われた紅葉の名所である竜田川にちなんでその名が付いたと言われています。また旧日本海軍の軽巡洋艦「龍田」の司厨長が考案したという説もありますが、さだかではありません。