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奈良きたまち京街道

ならきたまち・きょうかいどう

奈良市京街道沿いの町並み

奈良県奈良市押上町・今小路町・手貝町・今在家町

 

明治12年創業の堂々たる建物は「宝扇」と銘の醤油を醸す向出醤油醸造元。



奈良市の官庁街、興福寺と奈良公園の間を南北に走る大通り。南は天理・桜井、そして伊勢神宮へと至る道。そして北は京都へと至る(国道369号線としては柳生方面へ至りますが)この道こそ、かつて「京街道」と呼ばれた山城(京都)と大和(奈良)を結ぶ道です。また平城京時代では外京最東端の坊条である東七坊大路でもありました。

この旧京街道に沿っても古い町並が残っています。建物の多くは明治期以降から昭和初期のものですが、奈良市内の主要道路沿いにあってこれほど連続してまとまった町並みを残すのはこの旧京街道沿いだけといっても過言ではありません。

現在は街道の両側に商家や元旅館が並びますが、江戸中期・享保年間の押上町は街道の西側だけに民家がある片側町であったと記されていますが、東側は東大寺の築地塀が連なっていました。しかしその後、慶長年間以後になると東側にも町家が形成されていったと言われています。

この旧京街道筋を地元では「手貝通」と言われています。転害門を中心に今在家町より押上町までの800mに及ぶ京街道筋の名称で、かつては奈良市を代表する繁栄を極めた商店街の名残です。この 「手貝」という地名は転害門の「転害」と同じ意味で、手貝という地名の方が古い歴史を持ちます。










東大寺「転害門」は佐保路の東端終点にあります。東大寺大仏殿の西北に位置し、吉祥の位置で害を転ずる意から転害門と呼ばれたといいます。佐保路に面したことから「佐保路門」 源頼朝を暗殺しようとして平景清がひそんだとの伝説から「景清門」との別称もあります。国宝です。この転害門の正面から西へと延びる道が佐保路、平城京の一条南大路にあたります。










二条通り(平城京二条大路)の入口

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