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五条坂下る鐘鋳町
ごじょうざかくだるかねいまち
 清水坂下の陶芸家の集まる小路
 京都府京都市東山区鐘鋳町・上梅屋町・下梅屋町
 
 
 

五条坂下る鐘鋳町。別の住所表記では”東大路通五条西入る”とも記されるように、清水寺への参道、五条坂から東山五条交差点を渡り、東大路通と大和大路通の間のブロックにある小さな道沿いの町です。

道は五条通から始まって、渋谷道を越え、今度は西に90度曲がって大和大路通に突き当たる、わずか370mほどの家並みで、鐘鋳町(かねいまち)はその名のとおり、古くから清水焼きの窯もとが集まっていた町でした。豊臣秀吉が方広寺創建に際し、大仏殿巨鐘鋳造炉鍛場の跡がその始まりと言われ、現在も陶磁器関係の工房や店が多く、京都府陶磁器協同組合の共同窯もあります。

鐘鋳町に一際大きな町家建築が陶芸家・河井寛次郎記念館です。河井寛次郎は島根県安来町で明治に生まれ、大正・昭和と京都を拠点に活動した作家です。同氏の創作は陶芸だけにとどまらず、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆など幅広い分野でその才能を発揮しました。
文化勲章を初め人間国宝、芸術院会員などをすべて辞退する無位無冠の陶工とし晩年まで創作活動を行い、そして1966年に76歳で没しました。

 
 
渋谷道との辻