一路一会古い町並みと集落・古都>京都>樫原

樫原
かたぎはら
 京の西の玄関口となる山陰道の宿場町
 京都市西京区樫原石畑町・樫原宇治井町・樫原宇治井西町
商家・町家・旧本陣・土蔵  なし  阪急・桂駅
 
 
桂離宮から桂駅の南を抜け国道9号線に合流する1本の細い道。これが旧山陰道で、物集女(もずめ)街道が交差する樫原交差点あたりに宿場町の面影を残す町並みがあります。樫原は古くから交通の要衝として賑わった町であり、江戸時代には参勤交代の為の本陣も置かれていました。

物集女街道とは古来より山陰道と西国街道を結ぶバイパスで、向日市物集女町を通るのでそう呼ばれたとか。物集女(もずめ)は河内国大鳥郡百舌鳥(もず)に住んでいた有力者がこの地に移り住んだ事に由来すると言われています。ちなみに、樫原の辻から物集女街道の延長で北に延びる道は嵐山へ至る嵯峨街道といいます。

本陣だった玉村家や郷蔵も現存し往時の面影を強く残す樫原は、阪神大震災の影響を受けて損傷したことから、外観が見事に修復され整っています。一階部分、軒下などに広い空間が設けられているのは、旅人が荷物を置いたり休憩する際、街道の通行の邪魔にならないようにするためのもので、家によっては格納式の縁台が見られます。

ベッドタウン化が進む街道集落の遺構を守ろうと樫原町並み整備協議会が結成されて街並みの保存が模索されています。震災で損傷した古い建物を取り壊さずに修復保存に動いたのはこうした住民の意識によるものでした。街道に面したマンションのファサードも町並みへの配慮がなされていました。

直線の町家風景が多い京都において、ゆるやかなカーブにそった樫原の街並みは視覚的な変化もあってより楽しめるのですが、この旧街道は抜け道になっているのか交通量はかなり多い上に、車のスピードも速いのが難点です。
京都市は「界わい景観整備地区」に指定していますが交通規制までは難しい状況で、今日も車が街道を駆け抜けていく度に、千本格子や犬矢来がバタバタと音を立てていました。
 
樫原宇治井町から樫原石畑町方向
樫原交差点から樫原宇治井西町方向
樫原宇治井西町の町並み緩やかな斜面を登っていく