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さと
 田園地帯の中に残る旧街道筋の要衝の町
 和歌山県和歌山市里
伝統様式塗籠造り商家・土蔵・築地塀・桝形  なし  JR阪和線・紀伊駅からバス
 
 
和歌山県の東北端、岩出市と接する市境にほど近い場所に”里”という名の地区がありま
す。クリークのように水路が縦横に走る田園地帯の中に、伝統的な商家建築の町並みが残されていました。

この家並みがある場所は、古くは「山口の宿」と呼ばれ、上方街道(熊野参街道)と淡島街道の交差点の宿場町でした。現在も農協や小学校、和歌山市役所支所に山口の地名が残ります。
この山口宿は鎌倉期には、山口荘の一部で、熊野街道九十九王子社の一つ、山口王子が設けられていました。江戸期に紀州藩徳川家が成立すると、上方街道は紀州街道(大坂街道)と呼ばれ、和歌山城下から北東3里の地で、最初の伝馬所であり、この伝馬所を中心に町屋敷が免許されていました。また紀州藩では城下を除いて町屋敷が地子免とされたのは橋本町とこの山口町だけでした。

一方、淡島街道は粉河町井田で大和街道と別れ、同街道の北側、紀和山脈の南麓を併走し、根来を経て加太へ至る道で、根来街道とも呼ばれていました。この街道筋では、有数の港町である加太と粉河寺の門前町であった粉河、そして街道が交差する要衝であるこの山口のみに宿場町が形成されていました。

幕末を境に宿駅機能は廃止され、交通体系の変化は旧街道筋の賑わいも変えてしまってから長い時が流れた今なお、往時を偲ばせる町並みや遺構が残る事に不思議の念を抱かずにはいられません。宿場町の中心である旧家がそのまま街村の形態を維持したまま、今に続いているのでしょうか。
 
 
 
 
南の桝形付近の家並み
岩出の酒蔵  ※地理的に岩出市の酒蔵が最寄りの為掲載      
清酒 「日本城」 吉村秀雄商店 和歌山県岩出市畑手72 0736-62-2121
清酒 「雑賀」 九重雑賀 和歌山県岩出市畑毛49-1 0736-69-5980