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大浦
おおうら
 かつて敦賀への中継地として海津と争った湖北の港町
 滋賀県長浜市西浅井町大浦
商家・古民家・土蔵  港付近  JR湖西線・永原駅からバス
 
 
奥琵琶湖とも湖北地方とも呼ばれる琵琶湖北部は、越前・若狭地方と近江を隔てる山塊が湖に迫り、また落ち込んで複雑な海岸線を形成しています。入り組んだ入江や湾には、いくつもの小さな漁村集落の姿があります。

古くからの「隠れ里」として知られる菅浦集落への入口にして、旧伊香郡西浅井町の中心集落でもある大浦もまた、喉かで釣り人かサイクリストくらいしか訪れる事のない漁村集落のひとつです。
平安期にはすでに浅井郡大浦郷の名が見え、また牛骨荘とも称され、清和院領の荘園として開発されたと言われています。

滋賀県と福井県の県境を隔てる野坂山地を源とする大浦川が、大浦湾に注ぐ河口に形成された港集落で、大浦港は古くは大浦舟崎とも言われた天然の良港でした。

古くから漁業と回船業に携わるものが多く、海津塩津と共に湖北三浦に数えられていました。この大浦から越前敦賀までは、京と敦賀を結ぶメインルートであった海津経由よりも約6km程陸路が短かかった事もあり、北国路の中継地として発展していきますが、これが海津との間で長い、長い係争を続ける事にもなります。

この大浦から敦賀へ至る陸路は大浦越(大浦道とも)と呼ばれ、大浦には問屋座が形成されていました。さらに70隻を越える舟を有し、村内には荒物商4軒をはじめ、菓子店や油屋など商店も軒を連ねていました。

しかし、長く続いた繁栄も、近世の初めに豊臣秀吉によって塩津経由の新道「塩津海道・新道野越」が整備されると、大浦は急速に衰退いったのです。
 
 
 
 
 
密度は低いながらも規模の大きな商家風の民家が多いのが大浦の特長