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五個荘金堂

ごかそう こんどう

近江五個荘商人の町

滋賀県東近江市五個荘金堂町 【旧・神埼郡五個荘町2005年合併】

 


近江商人の町としては”水郷の城下町”でもある近江八幡が有名ですが、近江八幡市の北東には五個荘商人を輩出した五個荘町があります。近江商人は大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つで、現在においては「西武グループ」「高島屋」「大丸」「伊藤忠商事」「丸紅」「ニチメン」の他、日本を代表する企業の前身を輩出しています。


その近江商人のルーツは中世に延暦寺の荘園であった得珍保(とくちん の ほ・現在の八日市)を拠点とした保内商人にさかのぼりますが、初期の行商から始まり、やがて全国各地に支店や店舗を持つ巨大商人が誕生するのは江戸時代に入ってからの事です。 江戸時代前期に八幡商人、中期に日野商人が活躍し、五個荘商人は出遅れて幕末から明治にかけての時代に登場しました。


といっても五個荘商人の歴史も古く、そのルーツには保内商人の時代に、すでに中山道沿いで商いを始めた小幡商人がいました。ところで五個荘という地名は平安期における山前荘(やまざきそう)日吉領内にあった5つの荘園にちなみます。


さて近世における五個荘村は近江米の産地でしたが、一人あたりの耕地面積が少なく、冬の間の裏作として麦や菜種が栽培されました。しかし、それだけでは生活を支えられず、近江商人として全国各地をまわっての行商が許されていました。半農半商の五個荘商人は富を築いた後も純粋商人へとは転じず、農業を中心とした生活を貫いたといいます。


五個荘は中山道に面していたので、物流や情報などにも長けていました。京呉服を関東で売り、関東織物を上方で売るという「持ち下り」と「持ち上り」の両方を含んだ「ノコギリ商法」が特徴でした。 江戸時代は商業の町、農村、漁村、宿場町など役割に応じて住む場所や店を開ける場所が厳しく規制されていました。


城下町の商人町として出発した八幡や日野とは違い、農業の副業で商売を行っていた五個荘には白壁の土蔵を中心とした屋敷は立ち並びますが、街並みに商家建築が見られないのはこのためです。 五個荘には豪商の屋敷が建ち並ぶ集落がいくつかありますが、金堂の他、川並山本などが比較的屋敷がまとなった街並みをつくっています。








酒蔵情報

清酒

「一博」

中澤酒造

滋賀県東近江市五個荘小幡町570

0748-48-2054