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  島田宿
しまだじゅく
 東海道有数の難所・大井川越えを控えた東海道二十三次之宿
 静岡県島田市河原1・2丁目
平入り平屋旅籠建築川合所・高札場  島田宿資料館P  JR東海道本線・島田駅からバス
 
 
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と馬子歌にも唄われたように、大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると旅人は水の引くのを何日も待つことがありました。

「島田宿川越遺跡」古い町並みは多くあれど、宿場町の面影を残す町も多くあれど「遺跡」の名が付くのは、おそらくここだけではないでしょうか。
もちろん、宿場町の大部分が河川改良と堤防に消え、元の場所より若干移動して復元された町並みではありますが、住民が普通に生活を送る集落、いや住宅地の一角とも言えます。

東海道を始めとする「五街道」は江戸幕府によって積極的に整備されましたが、大きな河川に橋が架けられる事はありませんでした。それは当時、架橋技術が無かった訳では無く、軍事戦略上の理由からでした。
旅人は徒歩や渡し舟で川を越えるしかできず、水位の低いこの大井川は徒歩で川を渡る事しか許されず、渡渉時間も明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までと厳格に定められていました。
また川が雨などで増水すると川留めになり、解除されるまで旅人は宿場町で何日間も足止めを食らう事になるのです。当然旅費もかさみます。
島田宿の対岸の宿場町は金谷宿です。蒸気機関車で知られる大井川鉄道の始発駅です。
この大井川に橋が架けられるのは明治12年になってからで、少し下流に全長897mの木造の蓬莱橋が最初の橋でした。

天保14年(1843)の記録では、島田宿の規模は東西9町40間、家数は1,461軒、人口は6,727人とかなり大規模な宿場町であったことが分かります。本陣3軒・脇本陣なし・問屋1軒・旅籠48軒(大6・中7・小35)、宿はずれの大井川端には川合所と川高札場がありました。これらも復元されています。川越し人足の数は、初め、島田、金谷でそれぞれ350人と決められていましたが、幕末には650人を超えていたといいます。 
 
 
 
 
 
島田市の酒蔵          
清酒 「若竹」 大村屋酒造場 静岡県島田市本通1-1-8 0547-37-3058
清酒 「丹頂」 丹頂本店 静岡県島田市本通7-8388-4 0547-36-3211