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  大湊
おおみなと
 伊勢神宮の玄関口から造船の町へ・船大工集団の町
 三重県伊勢市大湊

 構成:古民家 ■ 駐車場:なし
 
 
宮川と五十鈴川に挟まれ伊勢湾に突き出た島・大湊。勢田川・五十鈴川の合流点の三角州に開けた古い港町で河口に位置したことから、水門(みなと)がその語源となったと言われ、古くから伊勢神宮の海の玄関口として栄え、近世は造船業の町として発展しました。
大湊は鎌倉期に式外社である大塩屋御園内の港として発達し諸国伊勢神宮領から年貢の集まる重要な港町として神社港(かみやしろこう)と共に宇治山田の外港として大いに栄えました。多くの廻船問屋(桑名屋・山田屋・浜松屋・大文字屋・信濃屋)を輩出し、それらの船宿が軒を連ねていました。しかし江戸末期に勢田川の変化により港湾が埋没。さらに追い打ちをかけるように安政元年の大地震による大被害を受け、港湾機能の低下によって次第にその地位を鳥羽に奪われていきます。しかしそれでもしばらくの間は活況を呈していたといわれますから、その規模の大きさが伺えます。

やがて伊勢神宮の玄関港としての役割を失った大湊は、天下に知られた造船技術によって江戸時代からすでに造船関連の町として発展していきました。 大湊には造船関連産業として舟釘、家釘、錠などの鉄工製造業の工業団地を形成し、天保14年の記録では戸数400余りのうち実に半分が鉄鋼関連業者だったといいます。
やがて船舶の近代化は大湊に著しい影を落としますが、現在も中小規模の造船工場の町として息づいています。特筆すべきは今なお伝統的な佇まいを残す大湊の町並みがあげられます。現在も同じ伝統的な様式で新築している家も見られ、特に観光名所になっているわけでもないのに、これほどの町並みが維持されさらに後生に引き継がれていく様子に、伊勢の人々の意識の高さと誇りのようなものを垣間見ることができました。