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  多治見
たじみ
 陶都と称される美濃焼の問屋街
 岐阜県多治見市本町5丁目・6丁目
 構成:商家・土蔵  駐車場:市営有料P
 
 

多治見は「陶都」と称される程の古い歴史を持つ焼物の町ですが、窯そのものよりも”焼物を取り扱う問屋”の町として発展してきました。
多治見における焼物の歴史は古く、平安時代には盛んに焼かれていたと言われていますが、鎌倉期になると衰退します。室町期後期になると織田信長のよって開窯の朱印状を与えられた加藤景光一族によって、各地から陶工が集められ多治見においての焼物が再興されます。
この時期、多くの茶人に愛された(志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒)などが焼かれ、現在も骨董の中で有名な位置を占める「美濃古陶」と呼ばれています。
これらの芸術色の強い焼物は長く続かず、次第に農間稼ぎの副業で一般生活品を生産する傾向が強くなるにしたがって、多治見の窯は再び衰退していきます。
多治見の焼物は「美濃焼」と呼ばれていましたが、焼物の生産は尾張藩の統制下に置かれ、厳しい取り締まりを受けていました。多治見には尾張藩の美濃焼物取締所が置かれ、美濃焼の集散地として発展していきます。

しかし多治見が「陶都」として開花するのは幕藩体制が終焉を向かえた明治に入ってからの事です。厳しい統制を行っていた尾張藩が無くなると、窯元や仲買の鬱積した不満が爆発。生産・販売が自由になるなかで多治見商人は全国を駆けめぐって販路を拡大し、それはやがて全国生産総額の26パーセントも占めるに至ります。
現在も陶磁器をはじめ煉瓦や石膏などの窯業関連の町となっていますが、近代的な工場が郊外に林立する一方で、瀬戸や佐賀県の有田のような陶磁器の町としたイメージが町の中心から失われつつあります。そこで市が中心となリ本町5丁目筋地区と市之倉地区に残る旧問屋街を「オリベストリート・プロジェクト」にしたがって整備・開発が進められています。電線の地中化や景観にあわせたビルの再開発に加え、瀬戸のように大衆的な陶磁器卸、小売店よりも創作色の強いアトリエ窯やブティックをテナントに誘致するのもプロジェクトのコンセプトのようで、伝統的な町並みを生かした焼物ファッションストリートを目指しています。
町並みの雰囲気は長野県小布施などに似たところがありますが、明治・大正期以降に建てられたであろう重厚な商家建築が町並みにしっかりと歴史を刻んでいます。
なお本町1丁目の駅前商店街付近にも伝統的な建物がいくつか残されていますが、こちらは至って庶民的な雰囲気を留めています。



 
 
多治見の酒蔵          
清酒 「虎渓三笑」 前川酒造 岐阜県多治見市宮前町1-103 0572-22-0313