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  下村
しもむら
 射水郡最後の「村」として平成まで残った・北国街道の宿場町
 富山県射水郡下村加茂中部 【富山県射水市加茂中部】2005年合併

 構成:伝統的古民家・商家 ■ 駐車場:なし
 
 

富山市と新湊市、小杉町に囲まれた下村は、富山県平野部、射水郡唯一の「村」であります。明治、昭和の合併をはね除け、都市近郊の理想農村を掲げて独立を通してきた下村は、全世帯の8割が農家でありつつも、急速に過疎化の進む農村ですが、下村の中心部、賀茂地区は街村の形態を成し、商家風の建物も見られます。

ここは江戸時代に加賀藩の北国街道宿場町であった所です。下村が宿場町に指定されるのは、隣りの小杉宿と同時期の成立ですが、はるか昔の古代官道「北陸道」がすでのこの地を通っていたと推察されています。
北陸道はその後、幾度もルートを変えた後に「北道と南道」に分かれますが、やがて江戸期・加賀藩時代になると先の旧南道が近世北国街道になります。この道筋は
現在の下村から南へ約4km、現在の主要地方道富山戸出小矢部線にあたり、後に北国街道のルートが再び変更された後は、中田往来もしくは上使街道とも呼ばれます。

寛永16年(1639)加賀藩から大聖寺藩と富山藩が分封し、富山に富山城が築城されるにあたり、富山城下を迂回する新道が整備されます。これが近世後期・北国街道で、高岡を出たあと、東へ大門から小杉ー下村を経て草島の渡しで東岩瀬に至り、以後海岸線に沿って越後へ向かいます。
寛文2年(1662)下村は小杉と共に加賀藩から宿場町に指定されます。最盛時の下村宿の家数は200軒、うち100軒が商家だったといわれています。しかしそれも村の言い伝えのようです。明治の町村再編による自治体形成時に、独立した地位を得ていた事からも、近郷在郷町的な町場の形成と発展はあったようです。