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  七尾
ななお
 前田氏の城下町から発展した能登半島最大の商工都市
 石川県七尾市三島町・今町・府中町・内木町・松本町・他

 構成:商家・町家・酒蔵 ■ 駐車場:なし

 
一本杉町の町並み

能登半島中央東海岸の七尾は能登最大の町で古来より能登の中心地でした。
始め越前国から分割立国し、その後すぐに越中国へ編入された後、再び独立します。
当時はまだ「七尾」の地名はなく、現在の七尾市の南西部にある江曽町地域に古代の駅が置かれ、その後国府となります。国府が置かれた場所は現在の古府町だと言われています。
七尾の地名が現れるのは中世以降で、江戸期を通して現在の七尾中心部は「所口」と呼ばれていました。七尾という地名は能登国の守護・畠山氏の7つの山城から称された名称であり、さらにこの地域全体をさす総称でもありました。
城下町名としての所口、地域通称名である七尾という呼び方は明治期まで混用されて使用されていましたが、明治8年に七尾の地名に統一されます。

戦国期にける畠山氏の七尾城は七尾山に築かれ、その麓に城下町が建設されました。現在の古城町がその場所で、七尾山山頂には七尾城址が残ります。
やがて織田信長より能登一国を与えられた前田利家が、この所口の小丸山(現在の小丸山小学校)に城を築き所口湊と府中町を城下町として整備します。
しかし、関ヶ原の戦い後に能登の他、越中・加賀の北陸3国を与えられた前田利家は本拠地を金沢へ移し加賀藩120万石の礎を築く、一方で所口の小丸山城は一国一城令で破却されてしまいます。藩は所口湊を保護し、府中町は商工都市として、所口湊は後に七尾港となり幕末まで北前船が常時100隻以上入港する加賀藩の海の玄関口として繁栄し、さらに加賀藩の軍港でもありました。

しかし、七尾港の衰退はその半島性から大正期より始まり、金沢近郊に金沢港が開港するに至り、北陸の玄関港の歴史は幕を閉じます。

現在の七尾は住宅地域の郊外への拡大と、郊外型大型店舗を中心とした町作りにより中心市街にはドーナツ化現象が見られ閑散としています。しかし、それゆえに江戸期よりの町割りや職人町の町名が残ります。碁盤の目のようで、所々に丁字やクランクが見られ、中心部の南側には寺院が密集する寺町など、七尾の基礎が城下町であった事を如実に物語っています。けれども伝統的な古い町並みが意外と残されていませんでした。
比較的広い面積の七尾の旧城下町区で、古い町並みを探すには今も現役で操業している5つの酒蔵を目標にすると効率的です。


一本杉町の町並み
橘町の町並み
内木町の布施酒造店
三島町の布施酒造店
 
七尾の酒蔵          
清酒 「鹿渡」 鹿渡酒造店 石川県七尾市内木町1 0767-52-3116
清酒 「神力」 三谷酒造店 石川県七尾市松本町101-3 0767-52-3154    
清酒 「天平」 布施酒造店 石川県七尾市三島町52-2 0767-53-0027    
清酒 「春山」 春成酒造店 石川県七尾市今町15 0767-52-0120    
清酒 「千代の春」 春清酒造店 石川県七尾市府中町222 0767-52-3465