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  門前
もんぜん
 曹洞宗大本山総持寺の門前町として栄えた町
 石川県鳳至郡門前町門前 【石川県輪島市門前町門前】2006年合併

 構成:商家・酒蔵・土蔵 ■ 駐車場:町役場駐車場
 

能登半島の先端中部、輪島市の南に接する門前町はその名のとおり、曹洞宗大本山総持寺の門前町として発展した町で当時は寺町とも呼ばれていました。
もっとも現在の町域の中心部である大字門前地区は、見て分かるように非常に狭く限られた町で、江戸期においても村高は無く、住民はいずれも総持寺関連の御用を務めており、門前町というよりは寺内町的な性格が強かったといえます。
町の名にもなった門前町の肩書きは、明治になって途絶えようといます。

明治31年の大火によって総持寺は消失。再建が望まれるなか、多くの門徒を抱えた曹洞宗の総本山が、アクセスが悪い奥能登の小さな町にある事から、これを期に東京への移転論が持ち上がります。寝耳に水の地元は移転反対同盟を結成し運動を展開。
総持寺住職の襲撃未遂事件も引き起こし、ついに石川県の仲裁のもと和解が成立。
結果、総持寺総本山は神奈川県鶴見への移転を決め、さらに総持寺は別院として再建が約束されました。明治43年に始まり長い年月をかけて少しずつ復興。昭和7年に今の姿となり、後に別院は総持寺祖院と改称して今にいたります。 

しかし、2007年3月25日。マグニチュード6.7の能登半島地震は奥能登の特に西海岸に甚大な被害を及ぼし、門前町にはいまだにその爪痕が残ります。
商店街を中心とした家並みは、伝統的な様式を継承して復興が進んでいますが、全壊した寺院などは、完全な更地となり遠い未来の再建を願っていました。
地震の影響は門前町にある2軒の酒蔵にもダメージを与え、うち門前通りに建つ沢田酒造店は、昨今の日本酒不況の中で再建の目途がたたず、ついに廃業の道を選んでしまいました。門前通りから東へ延びる堅町通りにある中野酒造もまた甚大な被害を受けながらも、かろうじて操業していました。

 
廃業を決めた沢田酒造店
門前町の中心・総持寺祖院も復興中
堅町通りの中野酒造・建物の色の違いがその爪痕を物語っています
 
近畿町の酒蔵          
清酒 「亀泉」 中野酒造 石川県鳳至郡門前町広瀬2-5-2 0768-42-0008
廃業 「白鳳」 沢田酒造店 石川県鳳至郡門前町門前1974