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  加賀大野
かがおおの
 醤油と味噌の蔵がひしめく金沢の港町
 石川県金沢市大野町

 構成:商家・町家・醤油味噌醸造蔵  ■ 駐車場:なし
 
 

加賀100万石の城下町に最も近い港町に、古い町並みの臭いを感じ町を訪ねました。
広義での金沢港に位置づけられる金石町と大野町。そして金沢港の北岸を占める大野町には、予想を大きく上回る町並みが残されていました。
それは伝統的な商家以上に、町中にひしめく大小さまざまな味噌や醤油の醸造蔵の数々です。まさにそれは、金沢の野田ともいえますが、その佇まいは千葉県野田の遙か上をいくのではないかと思えます。

この大野町の歴史を調べると、必ずしも古くから栄えた港町ではなかった様です。
さらに当時大野湊と呼ばれていたのは現在の金石地区であり、近世には町の名から宮腰津とも称されていました。宮腰町は藩権力を背景に、隣接する大野村を初めとする周辺漁村に規制をかけ、特権に安住していました。
さらに隣り通しに接する大野湊の発展が進まなかった背景に、生産力の低い河北郡が後背地であった事や、大野川が河北潟の排水路にすぎず、物流の要になりえなかった事も大きく影響しました。
このため、大野村と宮腰町との確執は絶えず、大野村の運動により安政3年に藩は大野村の町への昇格を余儀なくされます。これにより両町の対立はさらに顕著となり、慶応2年、藩は両町を合併させて「金石町」が誕生します。 これにより旧大野村は金石町庄町と改名され、その後下金石町となりますが、明治31年に大野町として復活しました。

江戸時代初期の元和年間に、直江屋伊兵衛によって始められたと言われる大野の醤油醸造は、金沢城下の発展に伴う急速な需要拡大によって発展し、廻船を通じて能登や越中にも販路を広げるまでに至ります。最盛期には60軒もの醤油醸造蔵を数えました。
それらの多くは今もなお現役で操業を続けています。一見普通の町屋・商家に見える建物も奥は大きな蔵構えで、作業場兼醸造蔵を兼ねている。その醸造量は明らかに僅かな量でしかない事は一目に想像でき、おそらく組合で協同瓶詰めをしているのか、古くからの顧客を有しているのか分かりませんが、中小、いや零細の醸造蔵がひしめく小さな港町は、金沢市の「こまちなみ保存区域」に指定されており、今後もこれらの風景や家並みが残されていくものと思われます。

 
 
 
 
かつて廻船問屋を営んでいた歴史をもつ「宝生寿し」
表側は町屋に見えますが、醸造蔵も兼ねている