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  橋立・瀬越
はしだて  せごえ
  北前船で富を築いた日本一の富豪村
 石川県加賀市(橋立・瀬越)

 構成:豪商屋敷群・旧校 ■ 駐車場:観光P

橋立の酒谷家「北前船の里資料館」
 

かつて「日本一の富豪村」と称された橋立や瀬越は、現在の石川県加賀市、江戸期に前田家加賀100万石の金沢藩の支藩である大聖寺藩の城下町、大聖寺の中心市街から北へ約5.5kmの日本海を望む小さな港町にあります。

橋立は前田家大聖寺藩の外港として当時から手厚く保護され、さらに北前船の根拠地として繁栄した一大商港でした。漁民の大半が北前船の船乗りに転換した結果、漁業は衰えましたが村の経済は逆に大いに潤ったといいます。
有力な廻船問屋として莫大な富みを築いた、酒屋長兵衛や大家屋又右衛門を始めとする橋立の船主達の資金は大聖寺藩の慢性的な財政危機を支え、それにより名字帯刀を許されていました。
現在、橋立には「北前船の里資料館」として公開されている酒谷家の屋敷をはじめ、数軒の富豪屋敷が残され、往時を偲ばせる町並みを構築していました。

一方、大聖寺より西へ約5.5kmの場所にある同じような北前船で栄えた瀬越地区の大聖寺川沿いには「日本海の百万長者」と呼ばれた大家家の屋敷がいまなお堂々と往時の威風のまま残されていました。さらにその少し離れた場所には広海家によって江戸中期ごろ建てられ、その後瀬越小学校として使われていた木造校舎があります。
現在は地域スペース「竹の浦館」として運営され、ノスタルジックな雰囲気抜群の食堂では地元の方の手作り料理を食べることができます。

 
橋立の旧廻船問屋の家並み
 
瀬越の大家家(未公開)
旧瀬越小学校