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  佐柿
さがき
 越前・若狭国境に位置する丹後街道の宿場町
 福井県美方郡美浜町佐柿

 構成:切妻平入り民家土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

敦賀半島の美浜原発でその名が知られている三方郡美浜町は、若狭地方の玄関口に位置する町で、その中心市街東端の集落・佐柿は中世の城下町、江戸時代の宿場町として栄えた町でした。

御岳山と天王山の山すそに挟まれた椿峠は、古来より越前から若狭へ入る交通の要衝として重要視され、御岳山の北側尾根上には中世から戦国期にかけて山城が築かれ、越前からの侵攻に備えられていました。現在の美浜町主要部を一望できる絶好の場所です。この山城は常国国吉という部将によって築かれた事から国吉城とも呼ばれていました。

天正11年(1583)国吉城主となった豊臣家臣の木村常陸介定光は、それまで国吉城麓の小集落でしかなかった佐柿の整備に着手します。椿峠を越えて西に進んでいた丹後街道を、国吉城麓を経由するよう南に付け替え、通りに面して100軒余りの町家が立ち並ぶ城下を整備しました。北町・横町・南町・殿町・堅町・野瀬町など名が通称地名として今も残ります。

関ヶ原の戦い後、若狭一国の領主となった京極高次は、重臣多賀越中守を佐柿に配して、町の北側に関所を設け国境を固めました。京極氏転封後、小浜城主となった酒井忠勝は佐柿に陣屋を設けて奉行を置き、藩主が領内巡検の際に休息所とする御茶屋屋敷を設置しています。佐柿は以後町奉行支配の下で丹後街道の宿場町として栄え、幕末には小浜藩預かりとなった水戸天狗党の残党を収容する准藩士屋敷を奉行所近くに設けるなど、敦賀とともに小浜藩東部の政治、経済の中心として繁栄しました。

現在佐柿集落には江戸期・宿場町時代の遺構はほとんど残されていませんが、宿場町を偲ばせる家並みがわずかに残ります。また集落中央で街道が大きく2度折れ曲がる鈎の手付近には、佐柿宿の案内版が町によって設置されていました。
ちなみに、佐柿集落に隣接する美浜町中心市街には、中世から近世にかけての市場町であった河原市と郷市の名が見られますが、伝統的な家並みは一寸も残されてはいませんでした。