一路一会古い町並みと集落・北関東>茨城>高萩
  高萩
たかはぎ
 茅葺きの長屋門と豪農屋敷が残る茨城最北の城下町
 茨城県高萩市上手綱・下手綱

 構成:豪農屋敷・茅葺き長屋門(武家屋敷)  駐車場:なし
 
 
太平洋に面した茨城県最北の城下町高萩。その下手綱と上手綱にはドラマのロケでも使われる、武家屋敷の長屋門と豪農屋敷が当時の遺構として残ります。

古くはこのあたりを「多珂郷手綱」と呼び、手綱村を経て上手綱村・下手綱村が成立しました。中世、鎌倉公方足利氏よりこの地を与えられた大塚氏が竜子山城を築きます。
戦国期には岩城氏が取って変わるも、関ヶ原の戦い後に改易。次の戸沢氏によって竜子山城の改修が終わると松岡城に改称します。その後は水戸藩領となります。
しかし、これで終わりではありません。水戸藩郡奉行による支配の後、水戸藩附家老である中山氏2万6000石の知行地となるのですが、大名に匹敵するこれだけの石高を有すると、やはり独立した大名への昇格を望みます。中山氏は松岡藩の立藩を幕府に対して幾度も願い入れますが叶えられず、新政府が誕生した明治に入ってようやく実現。ここに松岡藩が誕生しました。といってもその後すぐに廃藩置県が行われます。

下手綱の大手通りに面して並ぶ茅葺寄棟造の長屋門は、中山氏時代に造られた侍屋敷町の遺構です。一方上手綱にある穂積家住宅は寛政元年(1789)に造られた豪農屋敷で堀のような水路に囲まれ、長屋門、土蔵、母家は五段茅葺中竹節揃角市松模様寄棟造とパンフレットに書かれています。現在の高萩に城下町を偲ばせる街並みはほとんど残されていませんが、手の込んだ茅葺きの屋敷でその独特な構造や意匠見るだけでも、十分訪れる価値があります。