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達者
たっしゃ
 尖閣湾に臨む古い佇まいを残す漁村集落
 新潟県佐渡市達者 【旧・相川町】2004年合併
古民家・土蔵  あり  新潟交通佐渡バス海府線
 
 

佐渡の玄関口である両津港から直線で西端、外海府海岸の南端にして相川町の郊外に位置する尖閣湾は、旧相川町の姫津から北狄(きたえびす)に至る約4kmの海断崖絶壁の岩礁であり、佐渡有数の景勝地です。昭和7年に文部省の理学博士である脇水鉄五郎が、北欧はノルウエイのハルダンゲル峡湾の景観に似ているという事から”尖閣湾”と名付けなれたといいます。

その尖閣湾の遊覧船が発着する小さな湾の集落が達者といいます。この変わった地名は中世の説話である「山椒太夫」に由来します。この逸話をざっとお話しますと。

むかしむかし・・・岩城の判官正氏は九州の筑紫に左遷させられます。その子である、厨子王と姉安寿は母親と乳母と共に、父親の罪の許しを願い出るために都へ向かうのですが、途中の越後で人身売買を生業とする悪人にだまされ、母子引き離された後に、母は佐渡島に売られ、安寿と厨子王は丹後の長者「山椒大夫」のもとに奴隷として売られます。姉の安寿は弟を脱走させますが、これにより山椒大夫の息子・三郎によって拷問の末に惨殺されます。厨子王はなんとか都に辿り着き、出世して丹後の国司となって山椒大夫親子に復習を行いました。

その後、厨子王は佐渡のこの地で母と再会。この逸話から「達者」という地名が生まれたといいます。

達者は小さな港町の集落ですが、海水浴場整備と兼ねた立派な防波堤防とは対照的に、昔ながらの灰色に変色した下見板張りの民家が、かつての海岸線に沿って形成されています。江戸時代には、大工や木挽、桶屋に塗物師などもいたようで、漁業意外にも地場の産業を持った集落であったようで、地内には土蔵もいくつか見られました。

 
 
 
 
景勝地尖閣湾
小さな集落ですが漆喰で塗り込められた土蔵も多く見られます