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  遠山郷和田
とおやまごう わだ
 信州最南端の秋葉街道の宿場町と遠山氏の城下町
 長野県飯田市南信濃和田 【旧・長野県下伊那郡南信濃村和田】2005年合併

構成:切妻平入・妻入二階建古民家・商家 駐車場:道の駅遠山郷
 
 
長野県・静岡県・愛知県にまたがる「遠山郷」と呼ばれる地域があります。その名の通り、遠くて奥深く南アルプスと伊那山脈(※)に囲まれた信州最南端の村が南信濃村。その中心部が和田です。「遠山郷」は古くは美濃(岐阜県)の恵那山まで含んだ領域でたが、その後は東西に分割されます。

この地域は南信州と三河・遠州に交わる事から近年は三遠南信地域とも呼ばれています。
その遙か北の諏訪湖付近から始まる中央構造善の破砕帯を川が浸食して生まれた、総延長1,000kmにも及ぶ日本最長の谷を境に東に赤石山脈、西に伊那山地がそびえ立ち、その渓谷の谷底を貫く近世信仰の道・秋葉街道の信州最南端の宿場町でもあったのが和田宿です。

その前身は名門美濃遠山氏の一族で岩村遠山氏・苗木遠山氏とならび「三遠山」と呼ばれた明智遠山氏の一族、(信州)江儀遠山氏の城下町でした。中世にこの遠山郷を支配した江儀遠山氏は3500石を有して全盛を誇ります。また早くに徳川家康に従い、二代領主遠山土佐守景直は大阪冬夏の両陣に出陣し戦功を挙げ、江戸時代もお家は安泰かと思われました。しかし、三代遠山嘉兵衛景重が領主を継ぐものの病弱のため早逝し、子がなかった為に一族で相続争いが勃発。その結果遠山氏は改易となってしまいます。

秋葉信仰は江戸中期に徳川幕府の庇護のもとに発展した山岳信仰で、当時火災に悩まされた日本各地の町や村において「火防(ひぶせ)の神」として爆発的に広まり、厚い信仰を集めました。
和田の中心市街は遠山川左岸を通る旧・秋葉街道・国道152号線沿いに商店街を形成しています。また遙か僻地ながら商店街には旅館も多く、宿場町を今に残しているようでした。
現在国道バイパスと高規格道路「三遠南信自動車道」が遠山川の対岸に建設され、あらたな市街地が生まれようとしています。やがて、旧市街である和田宿の町並みの行方が気になります。

余談ですが、「遠山の金さん」で知られる旗本・北町奉行の遠山左衛門尉景元(とおやま さえもんのじょう かげもと)は同じく明知遠山氏の分家です。

※「伊那山脈」とは赤石山脈と伊那山地を総称した地元伊那地域の呼び名で、飯田市街、さらに中央自動車道から南アルプス側を見ると、最前列の赤石山脈と重なる背後の伊那山地が連なりますが、南アルプスはさらにその奥に位置しているので、それと区別する為に呼ばれるようになった名称です。