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  根羽
ねば
 三州街道・伊那16宿最南端の宿場町
 長野県下伊那郡根羽村(上町)
旅籠型古民家・商家型古民家・土蔵  なし JR飯田線・飯田駅からバス・学校前乗換
 
明和6年(1771)の道標「ゴハンギョ」
 
根羽村は南信南端の地域で最も南端に位置する人口1,100人の村。生活圏は実質的に愛知県豊田市に属し、平成の大合併では豊田市との越県合併も議論されました。

もともと、古代から中世にかけての根羽は三河国に属していたのです。
現在の愛知県東加茂郡全域と豊田市・西加茂郡・北設楽郡及び長野県の旧根羽を含む広大な区域は、平安時代後期に高橋新荘、鎌倉時代には足助氏の支配下加茂郡名倉郷にあり、南北朝時代には加茂郡足助庄に属していました 。戦国時代に武田信玄の南下作戦によって足助松山城が攻略され、根羽はこの時から武田領となり信濃国に編入されたのです。

よって根羽宿は三州街道・伊那16宿の最南端の宿場町です。宿場中央の交差点には「ゴハンギョ」と呼ばれた明和6年(1771)の道標があります。
根羽宿もまた南北に縦貫する伊那街道(三州街道)と東西の街道が十字に交差する交通の要衝でした。西へは木峠を越えて岩村・明智・瀬戸方面へ至る岩村道、東へは田口(設楽)・新城・吉田(豊橋)方面へ至る新城道です。宿場には荷問屋、旅籠、馬宿、茶屋などが並びさらに、善光寺や秋葉山、伊勢詣りなどの参詣地の中間点にあった為に、多くの参詣客で賑わったといいます。

山間にわずかに開けた、街道が十字に交差する付近に集落があつまり、街村を形成しています。「ゴハンギョ」の道標が建つあたりに重厚な旧家がありますが、江戸時代までさかのぼるような古い建物はありません。それでも街道筋に発展した町である事は十分に感じ取る事ができます。ちなみに「ゴハンギョ」とは「御判所」の転訛で高札場の事らしいです。

さて根羽村は武田信玄の終焉の地と言われています。実際、信玄の死因と終焉の地については諸説があり明らかではありませんが、「甲陽軍鑑」には根羽を終焉地としています。