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  草加
そうか
 「草加せんべい」発祥の地、奥州道中(日光街道)の宿場町
 埼玉県草加市神明・住吉・高砂

 構成:商家・町家・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

草加は「草加せんべい」で知られる一方、東京近郊の一大ベッドタウンであり、まさかこの町に伝統的な町並みが残されているなど想像だにしませんでした。
草加は江戸時代に日光街道もしくは奥州街道の宿駅として基礎が開かれた町で、整備が行われたには慶長11年(1606)になります。南草加・北草加・吉笠原・長島・立野・弥惣右衛門新田・与左右衛門新田・谷古宇・宿篠葉の9か村を総称して草加宿と称しました。現在の住吉町の場所に置かれた本陣以下、脇本陣1軒、旅籠67軒、現旭町で今でも茶屋通りと呼ばれているあたりは、街道に沿って茶屋や物売りが軒をならべていたと思われる。
この通りの茶店で売れ残っただんごを押し伸ばし、乾燥させて焼き上げた事がからせんべいが生まれたといわれ、これを考案した茶店の老婆が”おせん”という名前に由来して「せんべい」という商品が生まれたといいますが定かではありません。
草加宿では5・10の日には六斎市が立つ一方、舟運も発達し、南草加村の綾瀬川には草加河岸があり、活発な舟運活動を行っていました。

草加は低地でしかも外村の宿場町ということで、たびたび洪水や火災に見舞われたらしく、明治3年の大火では1丁目から6丁目まで焼失しました。したがって現在残る建物は明治以降のものであります。
明治32年、東武伊勢崎線の開通と草加駅の営業開始により町は急速に発展、豊富な地下水から工業地帯となり、戦後はベッドタウンとして急速な人口増加を向かえました。草加駅前は関東有数のベッドタウンにふさわしく、ビルやマンションが林立する近代的な繁華街ですが、旧日光街道を踏襲する県道が旧道を迂回して建設された為に駅前商店街には、わずかではあるものの、しかしそれでいて極めてレベルの高い伝統的な商家建築、関東出桁造りと呼ばれる様式などが残されていました。