一路一会古い町並みと集落・関東>千葉>佐原

佐原

さはら

小江戸と呼ばれ利根川の水運で繁栄した香取神宮の門前町

千葉県香取市佐原イ 【旧・佐原市2006年合併】

 



水郷の町・蔵の街「お江戸見たけりゃ佐原へ御座れ、佐原本町江戸勝り」と、小江戸佐原とも歌われる香取市佐原の町は、都心からわずか1時間半足らずの場所にある、伝統的な古い町並みを残す町です。現在国の重伝建にも指定されています。


佐原は下総国一宮・香取神宮の門前町で、中世国分氏が治めていた頃から市場町としても賑わっていましたが、商業の町として栄えるのは江戸期に入ってからでした。佐原が利根川水運の河港として年貢米の集散地になると、急速に物資が集散する商業町へ発展します。
かつて国分氏の家臣だった伊能家や永沢家は帰農して酒や醤油などの醸造業を興し、佐原の代表産業に育てあげました。





全国を歩き日本初の実測日本地図を製作したことで有名な伊能忠敬は、18歳の時に佐原の伊能家に養子入りし、50歳で引退した後に江戸に渡って地理学者となりました。
「残したい日本の音風景百選」に選ばれた樋橋のそばに、伊能忠敬旧邸があります。目の前を流れる小野川沿いには町家の風景が、町の真ん中を走る道路沿いには土蔵造りの商家が並びます。


香取の繁栄は明治以降も続き、今も町並み地区に多く残る旧三菱銀行佐原支店などの西洋は佐原が商都だった時代を物語っています。しかしこの利根川水運がもたらした繁栄が、今度は佐原の衰退を招く事になります。物流の競合による共倒れを恐れた千葉県は、鉄道の敷設に対して消極的で、総武本線の前身である総武鉄道が開通したのは明治27年(1894)、成田鉄道が佐原まで開通したのは明治30年になってからの事でした。

ちなみに最初に鉄道構想を立ち上げたのは佐原の伊能家だったのです。県の許可が得られなかった伊能家の武総鉄道は成東の安井家が発起した総州鉄道と合併して総武鉄道を立ち上げました。そして物流の競合を避けるために、民間物流ではなく陸軍鉄道線の名目で敷設する道を選びました。結果鉄道は佐原を通らず、当時の軍営地を繋いた現在の総武本線のルートで敷設される事となります。


佐原の古い町並みが残る地区は駅や町の中心から少し離れた場所にあります。やはりその後敷設された成田鉄道の駅も、当時の町外れに置かれる事となりました。近年まで6軒あったと言われる香取の酒蔵も、現在は馬場酒造と東薫酒造の2軒のみ。かつて醸造蔵の象徴だった赤レンガの煙突が、町中いたるところに残っています。
2006年3月佐原市は香取郡小見川町、山田町、栗源町と合併して香取市となりました。

















かつて小野川沿いには大規模な旅館が数多くありました。現在佐原の町並み地区に唯一残る伝建旅館「木の下旅館」は老夫婦が切り盛りする家庭的な商人宿。







酒蔵情報

清酒

「東薫」

東薫酒造

千葉県佐原市佐原イ627

0478-55-1122

清酒

「糀善」

馬場本店

千葉県佐原市佐原イ614

0478-52-2227