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  金ヶ崎
かねがさき
 仙台藩境の要害・奥州街道の宿場町
 岩手県胆沢郡金ケ崎町西根(裏小路・達小路)
 構成:武家屋敷(門塀)一部家屋 ■ 駐車場:なし

 

金ヶ崎は古くから北上川西岸の要衝であり戦国期は激しい争奪線が繰り広げられていました。
伊達仙台藩の支配になると、南部盛岡藩と国境を接する重要拠点として「要害」に定められ重臣が配置されます。金ヶ崎をもっとも長く治めたのは伊達氏一族の家格を持つ大町氏で、9代にわたり明治までの220年間この地を守り続けてきました。

金ヶ崎舘は町の高台、北上川と胆沢川の合流地点の舌状台地上にありました。それを取り囲む様に家中屋敷が配されています。現在金ヶ崎舘は残っておらず、また城址自体も北上川の浸食によって壊滅状態にありますが、保存地区にあたる武家町は当時の様子をとどめています。金ヶ崎の武家屋敷はネグネと呼ぶ杉の屋敷林とサワラヒバの生垣、トタン化されていますが寄棟造りの茅葺き屋根が特徴です。
千葉県の佐倉にある武家町も金ヶ崎に似た雰囲気を持っています。

一方、町人町と南北足軽町からなる本町は奥州街道の宿場町でもありましたが、現在その面影はまるでありませんでした。